「神の見えざる手」という言葉で知られるアダム・スミスは、一部から自由放任主義の思想家だと誤解されている。だが主著『国富論』では、国家の役割について触れ、国家による「浪費」を警告している。元国税調査官の大村大次郎氏が『国富論』の内容を「超訳」で紹介する――。

※本稿は、大村大次郎『超訳「国富論」――経済学の原点を2時間で理解する』(KADOKAWA)を再編集したものです。

国の浪費こそが国力を弱める元凶である

前回は、国富論の大きな主旨として「モラルを守った上での自由な経済活動」があるということを述べた。

『超訳「国富論」』(大村大次郎著・KADOKAWA刊)

国富論には、もう一つ大きな主旨がある。それは、「国による浪費」への警告である。

国富論では、

「各個人の浪費や不始末で、国全体が貧しくなることは決してないが、公的な浪費や不始末でそうなることはたびたびある」
「そして、公的な浪費や不始末は、国民一人ひとりの忍耐によって償わされることになる」

と述べられている。

私的な浪費であれば、影響が及ぶのは、本人やその家族など、狭い範囲だけである。しかし、当たり前の話だが、公的な浪費は「国全体」に影響する。しかも、そのしわ寄せは全部、国民に行くということである。

もちろん国全体が貧しくなり、国が傾くような事態に陥ることもある。だから国の浪費というのは、一番避けなければならないことなのだ。

実際、当時のヨーロッパ諸国では、浪費によって国が傾くということがしばしばあった。

例えば、フランスである。当時のフランスでは度重なる戦争により、財政破綻同然の状態にあり、国民は重税に苦しんでいた。それでもフランスの王室は浪費をやめなかった。国家歳入2億6000万リーブルのうち王室への支出が2500万リーブルもあったのだ。これは国家予算の10%近い額だった。

当時のフランスでは、農作物の不作などにより、庶民は苦しい生活を強いられていた。そのため、この国家財政状況が国内に知れ渡ると、国民の間で不満が渦巻き、フランス革命へと発展したのである。

また、スペインも浪費によって衰退した国である。

スペインは15世紀半ばから16世紀にかけて、圧倒的な勢力を誇っていた。1469年に、二大王国カスティーリャ王国とアラゴン王国の婚姻統合により誕生したスペインは、大航海時代に世界中に航路を開拓するなどして、世界の覇者となっていた。だが、スペインは宗教がらみの戦争を多々行い、その莫大な戦費が国家財政を圧迫するようになっていた。

スペインの借金は莫大なものとなり、せっかくアメリカ大陸のポトシ銀山などから大量の金銀を運んできても、その多くはスペインの港を素通りして、借金の利払いのために持っていかれるという状況になっていたのだ。