なぜ相撲界内部の人ではダメなのか

そこで相撲界の暴力的指導を容認する雰囲気・体質のことだけど、これを改めるには、ちょっとの隙も与えずに、徹底して暴力根絶の雰囲気を作り出すしかない。そしてこれは、これまで暴力的指導にどっぷり浸かった相撲界でやってきた人たちではなく、完全に部外者の第三者でなければ、実行できないだろう。

だって相撲界でやってきた当事者は、何十年もその暴力的指導の雰囲気に慣れ切ってしまっている人たちだから、相撲界の雰囲気のどこがおかしいのかについて厳しいセンサーが働かないだろうから。

(略)

雰囲気とは実に恐ろしい。だからこそ悪い雰囲気は徹底して摘まなければならないんだ。その「摘む」役割は、組織の雰囲気に浸かっていない第三者を活用するしかない。そして手始めはそのような悪い雰囲気を作ってしまい、それを改めることができなかった経営陣の責任を明確にすることだ。

第三者を活用することを組織は嫌がる。組織防衛の原理が働くんだよね。確かに自分たちの組織のことは自分たちが決める、という気持ちはよく分かる。でもどうしても自分たちではできないということもあるんだよね。

第三者を活用するときのポイントは、この「自分たちではできない」ということを明らかにすることだ。まさに現経営陣や現組織では暴力容認の雰囲気を変えることはできなかった、という責任を明らかにすることだ。これをしっかりやらないと、組織は第三者を徹底して排除する。せっかく招き入れた第三者が失脚してしまうのは、組織自体が自分たちでできると認識している場合、すなわち第三者を活用する必要性を認識していない場合なんだよね。僕もこれで数多くの失敗をしたよ。

僕は知事、市長のときに、府政改革、市政改革のポイントとして第三者の活用を掲げた。それまでの公務員組織では抜本的な改革はできないだろう、と踏んだからだ。そして大量の外部人材を登用した。

ところがこの外部人材と府庁・市役所組織との摩擦は激しかったね。組織は第三者に口を出されるのが嫌でしょうがない。確かに第三者というのは組織の内情を知らずに、理想論をコメンテーターのように言いっ放しにする人が多い。学者や有識者というのがそのタイプだね。内田樹とか古賀茂明が典型例。大前研一もそのタイプ。まあ僕が知るところのコメンテーター連中もほとんどがそうだね。こういう連中は巨大組織を動かすことはできないだろう。口だけでなく、きちんと実務を行った経験があり、組織を動かすことのできる外部人材でないと、必ず組織とぶつかってしまう。

だからといって組織を動かすために組織の言い分をそのまま聞いてしまう人では、外部人材を登用した意味がない。ほんとこの人材選びは難しい。