新オフィスの賃料は月額1200万円

最初に記したとおり、新しいオフィスの賃料は月1200万円。社員数はまだ30人になるかならないかで、会社を設立した大阪に半数以上、東京には12人か13人しかいなかった。

これは運命だというので移転を決めたが、300坪は広すぎた。百数十人が入る大会議室のほかに、50坪に一人掛けソファを10脚だけ入れた応接室をつくり、社員が友だちに見せるためだけの部屋ということで「自慢部屋」と呼ぶことにした。相手の顔が遠すぎて応接としては使えなかったのだ。

潰れそうになった原因のもうひとつは、自社媒体を創刊したことだった。その当時、中小企業をターゲットとする就職支援の市場はリクルートが圧倒していた。それは、リクルートがつくったマーケットだった。

一方で私たちがやっているのは、電話で中小企業に採用支援の商品を売って、電話で学生を動員するだけの要するに電話ビジネスだ。名簿を手に入れ、それをコピーして、朝から晩までバイトの電話部隊60人くらいで電話をかける。それだけで売り上げが3億から4億円くらいまで伸びた。だが、このやり方を続けていては売り上げ10億円を超えないだろうと思っていた。

きちんとマーケティングに費用をかけて、DMも広告も打って、向こうから問い合わせがくる仕掛けをつくる必要があった。そうでないと単価も上がらない。それにはリクルートのように自社媒体がどうしてもほしかった。

97年、どのくらい費用が必要かなど調べもしないまま、「就ナビ」という媒体を創刊した。いまでこそ「リクナビ」という就職サイトがあるが、この業界で「ナビ」と使ったのは私たちが最初だった。デザインのセンスがいいことで評判にもなった。

ところが、つくってみたら、制作費と印刷費と発送費だけで1億5000万円がかかっていた。

たしかに、いい人材は集まった。97年入社と98年入社の2回で30数人を採ることもできた。だが、優秀ではあっても新人だ。出費に見合うほど売り上げは上がらなかった。

西新宿のビルには入居したその月に解約通知を出し、半年で退居することになった。なぜ半年かというと、はじめから半年は賃料を払う契約だったからだ。

(大内祐子(プレジデント編集部)=構成 佐粧俊之=撮影)