ここまでの議論を先ほど提示した「協奏のサイクル」に即してまとめると、以下のようになる。

1.商品/サービスの提供

・「豪華アーティストのライブを楽しめる」こと(フェスが提供する価値「(1)出演者」)を最大の売りとして、フェスというものが開催されるようになる
・この時点では、「ライブ以外の時間も楽しい」「そこでの参加者間のコミュニケーションこそ重要」といった価値(フェスが提供する価値「(2)出演者以外の環境(衣食住)」「(3)参加者間のコミュニケーション」)については、運営側の頭の中にはぼんやりと存在しているものの顕在化はしていない

2.ユーザーによる顕在化していない価値への着目

・フェスの参加者が「ご飯」「自然」「ファッション」「夏らしいイベント」といった、メインコンテンツに付随する価値(フェスが提供する価値(2)(3))にフォーカスするようになる
・前提として、フェスの参加者は運営側から“あなたたちが主役である”“フェスは自由である”ということを絶えず訴求されている

3.ユーザー起点での新たな遊び方の創出(異なる概念との組み合わせ含む)

・「フェスでのおしゃれを追求する」「SNSにアップする写真を撮る」といった行動が広がり、「仲間とのひと時」に重きが置かれるようになる

4.企業が当初想定していたクラスターとは異なる層によるファンベースの拡大

・「音楽にはそこまで詳しくないけど〈3.〉のようなことには興味がある」という層がフェスに流入する
・その層は、当初の売りであった「豪華アーティストのライブ」(フェスが提供する価値(1))にはさほど関心のない人たちも含まれている

5.企業による新たなユーザー層・楽しみ方の取り込みとそれに合わせたリポジショニング

・運営側は〈4.〉のような層を排除することなく、その人たちも楽しめるようなアクションをとることで催しとしての性質が変わる

ここで重要なのは「4.企業が当初想定していたクラスターとは異なる層によるファンベースの拡大」のステップである。提供する価値が「(1)出演者」だけでなく「(2)出演者以外の環境(衣食住)」「(3)参加者間のコミュニケーション」にまで押し広げられた今の時代のフェスには、仮に音楽に詳しくなかったとしても比較的気軽に参加することが可能である。思い返せば、フェスというものが生まれ始めた2000年初頭において、「音楽に詳しくない人をフェスに誘う」というのはあまり考えられない行為だった(筆者はその頃ちょうど大学に入ったタイミングだったが、自分の周りでは「そもそもフェスとは……」から説明しないといけなかったように記憶している)。フェスが「夏の定番イベント」として取り扱われている今とは隔世の感がある。