ここで着目すべきは、WESSの山本氏のコメントにある「自由」という概念である。2017年のライジングサンの公式サイトにも、以下のような文章が掲載されている。

細かなルールや制約が設けられていない分だけ、個々が自分で考え、判断する場面も増えてきます。何事も人任せにしない、自分でできることは自分でやる。そんなスタンスこそが、RSRを楽しむための何より大切な要素と言っても決して過言ではないでしょう。もちろん最低限の「責任」を果たした後に待っているのは、日常を少しだけ逸脱した時間を過ごせるとびっきりの「自由」。参加者の数だけ楽しみ方も千差万別、2/365の「自由」を今年も存分に満喫してもらえればと思います。
(WESS『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO』「RSRについて」
レジー著『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』(blueprint)

フェスの参加者が高額のチケット代を払って手に入れるのは、大きな自由である。たくさん行われているライブを見てもいいし、ライブを見ずに会場全体の雰囲気を楽しんでもいい(もちろんアーティストのワンマンライブでも「ライブを見ないでロビーにずっといる」という楽しみ方もあるかもしれないが、決して一般的ではないはずである)。ライブを見るときも、ステージ前方に行ってもいいし後ろの方でのんびりしていてもいい。ご飯を食べたくなったら食べればいいし、昼寝をしたければ木陰で横になればいい。主催者側が定めるタイムテーブルはあるものの、参加者それぞれの行動によって個々のタイムテーブルが無限に生成されていく。フェスの参加者は会場の中にいる限り、そんな自由を謳歌することができる。

フェスのいう「自由」の制限範囲

しかし、だからと言って傍若無人に振る舞っていいかというとそんなことはない。フェスの参加者全員に自由が与えられているからこそ、ときに各々の自由がぶつかってハレーションが生じる。参加者全員が特定のアーティストのステージ最前エリアに殺到したら事故が起こりかねないし、そこまでいかなくともライブ中に少しぶつかっただけでけんかになっていると会場全体に殺伐とした空気が漂ってしまう。浮かれて酒を飲みすぎて倒れたり、十分な食事をとらず炎天下で複数のステージを歩き回って熱中症になってしまったりしたら、同行者や運営側に大きな迷惑をかけてしまう。自由=何をしてもいい、ではないのである。