故・筑紫哲也キャスターとの対談で……

そんな貴乃花親方だって生身の人間だったという証拠もある。

1995年の11月。ガチガチに強かった横綱時代。九州場所は沸きに沸いた。若貴ブームで盛り上がっているところにきて、横綱・貴乃花と大関・若乃花が12勝3敗で並び、史上初の兄弟による優勝決定戦となったのだ。4連覇がかかっていた絶好調の貴乃花だったが、従来の迫力ある取り口は見られず、自ら右足を崩すような結末となった。NHKの視聴率は驚異の58%。それだけに、仲のよかった兄に優勝を譲ったとの憶測を生んだ。ちなみに、そのときの審判席には八角親方がいた。

世紀の一番を受け、月刊誌「相撲」は年末に「天下平らぐ」という貴乃花特集の別冊号を出している。目玉企画は故・筑紫哲也キャスターとの対談。記事中で筑紫キャスターが「やっぱり、やりにくかったでしょう?」と、その一番の心境を聞いている。すると貴乃花は「力、入らないです」と答えた。「無気力相撲」の告白だ。

実は当時、私は雑誌の編集部員としてその場にいて、貴乃花がそう答えるのを聞いている。貴乃花は相撲記者にはそっけない対応をするのに、筑紫キャスターの質問には素直に答えていた。柔らかい表情からは、決定戦までに相当な葛藤があったんだと読み取れた。他の楽しみを振り切って相撲だけに己のすべてをかける貴乃花に敬意を持っていたが、その率直な答えや表情を目の当たりにして、ますますファンになったのを覚えている。

だがその後、兄の若乃花は横綱に昇進し、いろいろあって兄弟の仲は断絶となる。筑紫氏が対談で引き出した大らかさは消え、より頑なになったようにも思えてしまうのだ。世紀の一番で生まれた心の緩みを猛省し、まわしを締め直そうと思ったのかもしれない。

大相撲とは矛盾に満ちた人間ドラマの集積なのである。だから面白い。誰かを悪者扱いにしない大らかな構え。それを相撲ファンはきっと受け入れるだろう。(文中敬称略)

▼日馬富士暴行事件の経緯
10月25日夜~26日未明
鳥取で日馬富士が貴ノ岩に暴行。

29日
貴乃花親方が鳥取県警に被害届を提出。

11月2日
日本相撲協会が事件概要を知る。

3日
鏡山危機管理部長の事情聴取に、貴乃花親方、伊勢ケ浜親方は「よくわからない」と答える。

5~9日
貴ノ岩が福岡市内の病院に入院。「右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑いがあるとして全治2週間」と診断。

10日
貴ノ岩休場を発表。

12日
九州場所初日。

14日
日馬富士が暴行を認めて謝罪、休場。貴乃花親方が被害届を取り下げない意向を協会に示す。

17日
鳥取県警、日馬富士を任意聴取。

19日
危機管理委員会、日馬富士を初聴取。

21日
鳥取県警、事件現場同席の鶴竜と照ノ富士を聴取。

22日
八角理事長、二度目の貴乃花親方聴取。貴ノ岩に対する協会の聴取を「お断りします」と拒否。

26日
千秋楽。八角理事長が協会あいさつで一連の問題に関して異例の陳謝。

28日
八角理事長、力士を緊急招集して暴行問題について講話。その席上で「貴乃花親方が巡業部長なら、巡業には行きたくない」と白鵬が発言。鳥取県警、白鵬を事情聴取。

29日
日馬富士、現役引退。

30日
相撲協会理事会。3時間半にわたる緊迫した空気の中、12月3日からの冬巡業で貴乃花親方が帯同しないことが決まる(巡業部長代役は春日野親方)
須藤 靖貴
作家
1964年、東京都生まれ。「相撲」の編集部員などを経て、第5回小説新潮長篇新人賞を受賞。相撲小説の第一人者。著書に『おれ、力士になる』『消えた大関』『力士ふたたび』など。
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