やがて経済は破綻する。
そう警鐘を鳴らした『新自由主義』の正当性

今回の経済破綻が起きる以前、『新自由主義』を書いたデヴィッド・ハーヴェイを批判する市場原理主義者は多数いました。しかしながら現在の状況を見るにつけ、彼の主張が妥当だったことがわかります。ここでいう新自由主義とは、市場を中心に据えた経済の仕組みづくり――おもに私的所有権の絶対化、企業活動の無限の自由化、自己責任化を意味します。

本来、政府は国民の生命や財産を守る存在でしたが、英国のサッチャー政権から「すべてを政府に甘んじず、みんなでやるべきことはやれ」というネオリベラリズムが世間の常識の中に埋め込まれていったのです。

しかし今、欧米諸国における破綻しそうな企業に対する緊急融資はどうでしょうか。これらの融資は、国民の税金で補填されていますが、利益が発生した場合は自分の利益で、損失が発生した場合はみんなで分かち合う形です。これらを見ると明らかに「自己責任の原理」と反した矛盾が起きています。

ハーヴェイは、新自由主義的な市場グローバリズムとは、単なる自然現象ではないと説明します。シカゴ大学で学んだ新自由主義の学者たちがメキシコ、チリなどの中南米諸国に帰国後、ブレーンとして政策を進めるという、国家を超えた一つの政治的プロジェクトにすぎなかったわけです。そうした新自由主義が約30年にわたりアメリカを中心に世界を駆け巡った結果、多くの者は他人に手を差し伸べる余裕がなくなり、自分も明日どうなるかわからない不安に駆られています。

このように社会のコミュニケーションが不全状態になる政策を推し進めていけば、問題が発生するに違いないとハーヴェイは警鐘を鳴らしたのです。この30年、どういう仕掛けと仕組みで今に至ったのか。そして中国の未来はどうなるのか。それらが、非常に巧弁に説明されています。

日本の思想史を論じた丸山眞男『日本の思想』も、読んでおきたい一冊です。

第二次世界大戦が終わって敗戦を迎えた日本は、一夜にして国民感情が「鬼畜米英」から「デモクラシー万歳」に替わりました。本来であれば、外から入ってきたものと自分たちが持っているものが徹底して対決する。そして内部のさまざまな葛藤や矛盾を通じて、自分が変わっていくはずです。

しかし日本の場合、そうした現象がほとんどなかった。ここに彼は強い不信感を持つと同時に問題の本質を見ました。異質なるものとの対決を通じて自らのポジションを築き上げる相対的な座標軸を、日本人は自らの思想の中に一度もつくれなかったのではないか、そう考えたのです。

それゆえ、戦後60年経った今、いろんな問題が生まれています。憲法第九条、日米安保、自衛隊……これらは本来ならば矛盾する問題でしょう。

しかし日本は曖昧なものを曖昧に残したまま、併存させてきました。丸山さんが注目するのは右派なのか左派なのかではない。異質なる思想や文化の対立を通して、苦悩しながら変わっていく経験がどこまであったのかを見据える。こうして、丸山さんは日本の思想を検証していったのです。

(構成=鈴木 工 撮影=若杉憲司)