自身をビーラカンスと呼ぶベテラン工学部教授の長編エッセイである。20代の学生からみると60歳の教授はシーラカンス。70歳はその上をいくビーラカンスだというのだ。失礼だが、そもそもシーラカンスを持ち出してくるだけでも年代を感じる。

しかし、理工系の大学の内部について、これほど具体的に語りつくした本を読んだことがない。しかも、筆致は軽やかで、ユーモアも上等だ。一気に読めて、まずはなぜ日本の製造業が世界最強だったのかという謎が解ける。

工学部出身者、すなわちエンジニアの鉄則として「納期厳守」「頼まれたことは断らない」「他人の話は最後まで聞く」「拙速を旨とすべき」などがあったという。彼らのおかげで日本は一時的にでも製造業の頂点に立つことができた。

さらに著者は日本の工学部にあってはアメリカと違い大器晩成タイプの人材を発掘できたという。競争と協調が適当なバランスを保っていたからだというのだ。

ところが、本書の最大の魅力は工学部について学ぶことではない。むしろ大学の裏話こそが面白いのだ。たとえば、文部科学省の思いつき行政と天下り教授に翻弄されながらも、なんとか自分の研究を守ろうとする研究者のドタバタだ。

大学では一般教育と専門教育では同じ教授でも位に差があるという。一般教育担当教授が准将だとすると、専門教育担当教授は中将だという。この大学中将は文科省本省の係長と同等だというのだ。本省の局長、事務次官ともなればもはや元帥を超えた存在だ。

そのエライエライ文科省がある日、大学院大学化を目指したり、独立行政法人化を指示してきたりするのだ。その御無体ぶりは江戸時代のお殿様もかくやとばかりだ。

しかし、それを迎え撃つ教授陣もじつは曲者である。著者は江藤淳や永井道雄などの1980年代東工大スター文科系教授をひとくくりにして特徴をまとめている。すなわち「一匹オオカミたちは大学に忠誠心などなく、自分のことが大切だし、本音を述べているとは限らず、詭弁を弄することを厭わないし、議論はその場で首尾一貫していれば、1か月後に180度違うことを言う連中だ」。

この調子でいろいろなものをぶった切るのだが、けっして悪口には聞こえないのは著者の人徳もさることながら、素晴らしい文才によるものだ。

ところで、大学教授が京都に日帰り出張したときには、京都駅のキオスクでおむすびを買うのだという。学会の領収書ではダメで、おむすびの領収書で実際に出張したことを証明するしかない規定だ。嗚呼文科省。

ともあれ、本書の読後感は素晴らしく爽快だ。まわりがバカだらけでも前向きに生きていこうという気になるから不思議である。