お釈迦(しゃか)様は、『法句経』という経典のなかで次のようにおっしゃっています。

「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き従う。あたかも身体から離れることのない影のように」

このように、実は人生の「幸せ」や「不幸」というのはすべて自分の心の持ち方次第で決まるものなのです。

人間は、自分の心の向いた方向に人生のエネルギー、すなわち運気が運ばれます。その結果を私たちは「運がよい」とか、「運が悪い」とか呼んでいるだけなのです。

これが荒行を通して得た悟りの一つです。

「将らず、迎えず、応じて、蔵めず」

私は19歳のときに吉野山に入り、20歳を迎えたときに、お師匠さんから1枚の色紙をいただきました。私のほかにもう1人、20歳の者がおり、「今日は君たちの成人式だから」と言って私たち2人にそれぞれ、別々の内容で色紙に言葉をしたためてくださったのです。

私の色紙には「将(おく)らず、迎えず、応じて、蔵(おさ)めず」という荘子の言葉が書いてあり、お師匠さんにその意味を説明していただきました。

「将らず」というのは、過ぎ去ったことにくよくよしない心。
「迎えず」というのは、これから来る未来のことを思い悩まない心。
「応じて」というのは、そのとき、そのときに精いっぱい、最善を尽くす心。
「蔵めず」というのは、恨みや憎しみの念をしまい置かない心。

色紙をいただいた20歳の当時は、「お師匠さんが、こんなにも思ってくれていたんだ」という感激とうれしさが先に立っていましたが、年を重ねるごとに、この言葉の意味が深くわかってきたような気がします。