【田原】希望の地域はあったんですか。

NPO法人クロスフィールズ 代表理事 小沼大地氏

【小沼】中南米に行きたかったですね。美人が多いと聞いていたし、向こうでスペイン語を習得すれば将来役に立つかなと。でも、実際に決まったのは中東のシリアでした。正直、悩みました。当時のシリアは内戦状態ではありませんでしたが、中東全体にきな臭いイメージがあったので。最終的には、みんなが不安に思うところに飛びこんだほうがおもしろい人間になれると考えてシリア行きを決めました。

【田原】シリアでは何を?

【小沼】青年海外協力隊は現地からの要請があって派遣されます。そのときの要請内容は環境教育。ところが現地に飛んで配属先の団体に行くと、「環境教育活動はもうやっていない。いまはマイクロファイナンスだ」といわれまして。まあいいかと、そのままその手伝いをしました。

【田原】具体的に何をやったのですか。

【小沼】その団体は、村人にお金を貸して、そのお金でミシンや牛などを買って生計を立ててもらい、お金を回収する事業をやっていました。僕の仕事は、その事業で村人の生活が本当に豊かになったかの調査でした。

【田原】調査するといっても、言葉はできないでしょう?

【小沼】派遣前にJICA(国際協力機構)の語学研修でアラビア語を習いました。ただ、調査対象の村で使われていたのもアラビア語ですが、研修で習ったのは標準語のようなもの。僕が話すとニュースキャスターが話しているように聞こえたらしく、大笑いされてしまいました。逆に村人たちが話すと、訛りがきつくて何も聞き取れない。仕事も言語も日本で聞いていた話とまったく違って、途方に暮れたのを覚えています。

【田原】帰ろうとは思わなかった?

【小沼】思いました! でも、「帰りたい」という意思すら通じなかったので、どうしようもなかった(笑)。

【田原】英語もダメですか。

【小沼】ダメです。現地にも英語の先生がいましたが、先生も英語を話せませんでした。多くの村人にとっては、僕が生まれて初めて見た外国人。数カ月後に友人のスペイン人を村に連れていったら、彼も「ダイチ」と呼ばれていました。どうやら僕の自己紹介を聞いて、「外国人=ダイチ」だと思ったみたいです。

【田原】そんな状態じゃ仕事にならないでしょう。

【小沼】最初はジェスチャーでコミュニケーションをして、1~2カ月で簡単な会話程度ならできるようになりました。その村にいたのは半年。最後には何とかミッションを果たして、調査結果を報告することができました。