僕が日本語を学び、日本文化を研究することは母も喜んでくれました。ハーバード大学の大学院へ進み、27歳で九州大学へ留学したときも反対はしなかったけれど、まさかそのまま帰ってこないとは考えてもいなかったと思います。日本で仕事の機会を与えられたときも、「ぜひやりなさい」と支えてくれたけれど、やはり近くにいてほしいという思いはあったと思います。

毎年1、2回はアメリカへ帰り、家族に会いに行っていた。一緒にいろんなところを訪れ、母が来日したときは熊本城へ案内。(左)母はアンティークを好み、晩年にはオークションサイトで買ったオメガの時計をプレゼントしてくれた。

体の一部同然だった母の突然の死

その母が亡くなったのは2001年3月。妹から電話で突然の知らせを受け、両親が暮らしていたペンシルベニアへ帰りました。亡き母と対面して自宅へ戻ると、僕は葬式の手はずを整えなければなりませんでした。生前から母は、家の権利書や通帳、大切な書類などがどこにあるかを僕に教え、いざというときは「あなたに託す」と頼まれていたからです。

僕にとっても、母はいろんなことを相談できる人でした。自分の体の一部のような存在だったので、突然いなくなったときは胸をえぐり取られたような痛みを感じました。父と再婚するまでは僕が母について並走しており、2人だけが共有する歴史もあった。母が亡くなったことでそれが永遠に失われ、自分の夢の時代を半分消されてしまったような寂しさもあります。それでも今なお、母はいつも私の胸の中にいてくれることに変わりはありません。

ロバート キャンベル
1957年、米国ニューヨーク市出身。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士(日本文学専攻)。85年に九州大学文学部研究生として来日。九州大学文学部講師、東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て、2017年から現職。

構成=歌代幸子 撮影=田子芙蓉