三種の神器が天皇を神話と結びつける

天皇がかかわる宮中祭祀は、年間で30以上にのぼり、平均の所要時間は30分から1時間である。もっとも重要な新嘗祭については2時間もかかる。新嘗祭は、その年新たに収穫された五穀を、天皇自らが天神地祇に勧め、自身もそれを食して、その年の収穫に感謝を捧げるものである。

山本雅人『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)によれば、祭祀に臨む天皇は、御所で入浴してからだを清めた後、モーニングを着て宮中三殿に向かい、その構内にある綾綺殿(りょうきでん)で、「黄櫨染袍(こうろぜんのごほう)」という古式装束に着替え、祭儀に臨む。

宮中三殿のなかで中心となる賢所には、天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天照大神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けた鏡が御神体として祀られている。この鏡は、「八咫鏡(やたのかがみ)」と呼ばれ、実物は天照大神の神体として伊勢神宮の内宮(ないくう)に奉安(ほうあん)されている。賢所にあるものは、その形代(かたしろ)、レプリカである。

この八咫鏡のほか、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を合わせたものが「三種の神器(じんぎ)」と呼ばれる。それは、天皇の正統性の証であるとされてきた。

八尺瓊勾玉は、御所にある天皇の寝所の隣、「剣璽(けんじ)の間(ま)」に、草薙剣の形代とともに安置されている。草薙剣の本体は、愛知県名古屋市の熱田神宮に祀られている。

天皇さえ実物を見ることはできない

戦前は、天皇が行幸する際に、八尺瓊勾玉と草薙剣については、皇居から持ち出され、侍従が携えていった。これを「剣璽動座(どうざ)」と言う。ところが、戦後になると、天皇の地方訪問の機会が増え、警備上の理由もあって中止になった。ただし、1973年に行われた伊勢神宮での式年遷宮(しきねんせんぐう)に翌年昭和天皇が参拝した際には復活した。

三種の神器それぞれについては、焼失したとの情報もあり、現在伝えられているものが、古代からのものそのものとは言えない。ただし、天皇さえ実物を見ることはできず、その真偽を確かめることはできない。

三種の神器のうち、八咫鏡と八尺瓊勾玉については、『古事記』や『日本書紀』に記された天照大神の岩戸(いわと)隠れの物語に深くかかわっている。

八咫鏡の方は、岩戸隠れの際に、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)(日本の神の名前は多様で一つに統一できないので、本書では『古事記』にある代表的なものを用いる)が作った鏡とされる。天照大神を岩戸から引き出す際に、その姿を映し出し、そこに貴い神がいるかのように思わせるためである。

八尺瓊勾玉の方は、同じ場面において、玉造部(たまつくりべ)の祖神である玉祖命(たまのおやのみこと)が作ったものとされ、八咫鏡とともに榊(さかき)の木に掛けられた。

一方、草薙剣は、天照大神の弟とされる須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲でヤマタノオロチを退治したとき、その尾から出たものとされる。

このように三種の神器は、神話の物語と密接に関係している。それは、天皇の存在自体が神話によって裏づけられていることを意味する。