第二言語は英語、第三言語はプログラミング

高校のカリキュラムも「責任ある社会人」をつくり出すためのものにする。たとえば中高一貫教育の場合、授業自体は5年で終わるから1年浮く。その1年を有効に活用して、途上国で生活してみたり、介護ボランティアをやってみたり、単なるアルバイトではなくインターンで企業社会、海外生活などを体験してみる。社会人になるための準備として非常に重要なことだと思う。

スキルを身に付けさせるならプログラミング能力だろう。イスラエルでは小学校からプログラミングを教えて、高校を出る頃には自分で思い描いたシステムを書き出すことができるようになる。イスラエルが国力を高めている理由はこれで、米シリコンバレーでIPO(新規公開株式)を果たした創業者を出身国の人口に対する割合で見るとイスラエルがナンバーワンだ。

21世紀を生き抜くグローバル人材の育成を本気で考えるなら、日本でも第二言語は英語、第三言語はプログラミングと心得てカリキュラムを組み直すべきだ。ただし教員免許を持っているレベルでは最新の生きた英語やプログラミングはとても教えきれない。プログラミングについては企業の社会的責任として富士通やNEC、日本IBMといった企業からプロフェッショナルを補助教員に派遣して指導してもらう。そういった仕掛けが必要になる。

大学に教養課程は必要ない

英語に関しても母国語が英語の国の「国語の教師」が日本で正規の教員として就業できるようにする。英語を教えるのではなく、英語で教える、という観点からは理数系の授業を担当してもらってもいい。国際社会で生きていくためには明治以来の“鎖国”教育を抜本的に開放しなくては生徒が気の毒だ。高校までを義務教育として国の責任で完全無償化すべきだと私は思っている。

対して、次の大学は職業教育の場という位置づけにするべきであり(教養課程は必要ない。社会人としての教養は高校までに身に付けさせればいい)、「稼ぐ力」を増やしたい人が行くのだから、学費などを自己負担するのは当然。よって私は大学無償化には反対だ。

社会人教育を受けているのだから、高校を出たら一度働けばいい。社会で仕事をしてみて、そのうえで自分が本当にやりたいことは何か、その職業をまっとうするために必要なスキルは何かを見出してから大学に入ればいいのだ。ドイツでは失業保険が最長で32カ月あるから、失業保険をもらいながら大学で再教育を受けて最新のスキル獲得を目指す社会人も少なくない。