いずれにせよ、KCIAのような外国の国家機関が、白昼堂々とわが国の領土内でこのような事件を起こしたことは、日本にとっては重大な主権の侵害にあたります。しかし、日本政府は早々に事件の幕引きを図りました。

警察当局は事件の容疑者である金東雲に出頭を求めましたが、金東雲は外交特権を盾にこれを拒みます。韓国政府も引き渡しを拒否し、事件への関与を否定しました。ただ、事件直後に、韓国政府は金東雲を免職にしています。

当時の田中角栄内閣は金東雲の免職を了として、それ以上の真相究明を行いませんでした。日本の世論はこれを許さず、社会党や共産党もこの問題を追及します。日本政府は答弁に窮しながらも問題を曖昧にし、捜査を続行するふりをして、ほとぼりが冷めるのを待ったのです。

1975年7月、当時の宮沢喜一外相は訪韓し、韓国政府の「口上書」を受け取ります。金東雲の取り調べを行ったが証拠が足りず起訴には至らなかったこと、しかし公務員としてふさわしくない行動があったので懲戒免官にしたことを記したこの口上書をもって、宮澤は「(韓国の)行政当局としては、なし得る最善をした」とし、事件は金東雲の個人的犯罪だという解釈の上で、問題は解決済みという立場を表明しました。(*4)

「日本も協力」説の真偽は?

韓国の重大な国家犯罪に対し、日本政府はなぜ、これ程に弱腰だったのでしょうか。当時一部のジャーナリストたちは、日本の当局が拉致事件に関わりを持っていたからではないかと指摘しました。金大中は朴正熙政権を批判する一方で、親北朝鮮の立場を取っており、日本政府にとっても厄介な存在でした。そのため、KCIAに協力する動機は十分にあったというのが彼らの主張です。