反対する父を説得して理系の研究職の道へ

「大学の理系の職場には女性がほとんどいないので、心配だったようです。『どれだけ頑張れるのか、覚悟を見せてみなさい』と言われ、お給料から2年分の学費を貯め、やっと納得してもらいました。母には『お父さんも頑固だけど、あなたも相当だったわよ』と今も言われます(笑)」

(上)高井研究室は工学部の中では女子比率が高め。多様なメンバーが集う。(下)自分のやりたいテーマに取り組み、研究を楽しむ高井さんの姿勢が、学生たちによい影響を与えている。

早大の大学院に入り、ハードディスクの磁気ヘッドの研究を始めた頃には、父親も「途中で諦めるな。どうせなら教授になれ」と応援してくれるようになった。

「私が教授になる少し前に、父は亡くなってしまいました。でも、約束を果たせて、墓前に報告できたときはほっとしましたね」

思えば、自分には幼い頃から、理系の道に進む素地があったのかもしれない、と彼女は言う。

静岡県にある実家の敷地の一角に、祖父の作った小さな金型工場がある。油の匂いのする屋内には切削機やプレス機が並び、自動車のバンパーの金型を作っていた。製図版に向かう父親の姿も胸に焼き付いている。

「工場は私の遊び場でした。鉄くず集めや掃除をすると、お小遣いをもらえるのも嬉しかったし、何より動く機械を見るのが好きでした。誕生日のプレゼントも、妹はぬいぐるみを欲しがるのに、私は編み物の機械をねだるような子どもでした」

病弱で医者にかかることが多かったため、漠然と薬剤師になろうと考えていたが、高校の進路指導の教師から「医師の処方箋通りに調剤する仕事より、工学系の学部に進んだほうが活躍できるのでは」と助言された。それが理工学部へ進むきっかけになった。

早大で博士号を取得した後は、国立の研究所(現・産業技術総合研究所)に勤務し、東大の工学系研究科に入って研究を続けてきた。工学系の女性研究者としてキャリアを積んでいくうえで励まされたのは、「ロールモデルに出会ったこと」だったと高井さんは話す。