そう考えると、この手の通俗読み物はたぶん明治時代からあった。その時代ごとに消費されるから、後世に伝わらないだけである。しかし昭和20年代の少女小説などを読むと、主人公は両親を空襲で失った不幸な花売り娘だったりする。つまりメディアこそケータイだが、コンテンツとしてはいつの時代にも必ずあるものなのだ。

そういうわけで、ケータイ小説を読んでいるからといって、心配する必要はない。こういうマイブームは一過性のもので、いずれ卒業していくのだし。

だからといって、放っておいてもいずれ本を読む子になるかというと、それも幻想。

本を読む子にしたければ、親が読書をする姿をみせるしかない。親が読まないのに子どもに押しつけても無理である。

とはいえ、お父さんたちは忙しいし、最近の小説など読んでいる暇がない。それなら自分が中高生の頃に読んだ本の話をすればいいのだ。

統計をみれば明らかだが、日本人は若いときほど本を読む。ということは、お父さんも15歳のときは絶対に何か読んでいたはず。今の子が読むようなものではないかもしれないが、それでいい。子どもは意外と素直なので、チョロッと感想を言うだけで興味を持ったりする。ただしそこで、ドストエフスキーがどう、とか見栄を張ってはいけない。建前でなく本音で面白かった本の話をすること。本の話をするときは「どうだった?」ではなく、「何が書いてあった?」。感想ではなく内容を聞けば会話もはずむはず。

それから本嫌いの子には、タレント本が格好の入り口になる。タレント本にも、たまに名著がある。今の子どもたちにとって、芸能人は自己実現を果たした身近なお手本だ。タレントの自伝エッセイは偉人伝のようなものである。『ホームレス中学生』などを、そのへんに転がしておくのもいいかもしれない。

(長山清子=構成 相澤 正=撮影)