「いつの時代にもある」ジュニア小説が正体

そのへんに「タレント本」でも転がしておけ!<br><strong>文芸評論家 斎藤美奈子</strong>●1956年、新潟県生まれ。成城大学経済学部卒。子育て雑誌の編集者などを経て、94年、初の評論『妊娠小説』を上梓。近著に『本の本』『文芸誤報』など。
そのへんに「タレント本」でも転がしておけ!
文芸評論家 斎藤美奈子
1956年、新潟県生まれ。成城大学経済学部卒。子育て雑誌の編集者などを経て、94年、初の評論『妊娠小説』を上梓。近著に『本の本』『文芸誤報』など。

「子どもがケータイ小説ばかり読んでいる」という問題と、「本好きな子にしたい」という問題は、とりあえずわけて考えてみよう。まずケータイ小説だが、プレジデント読者はケータイ小説についてどこまでご存じだろうか。

毎日新聞の学校読書調査によれば、ケータイ小説を読んだことがあると答えた中高生は、中学生女子が75%(男子23%)、高校生女子に至っては、実に86%(男子46%)に上る。もう、女子はほとんど全員読んでいるといっていい。ということはケータイ小説を読んでいるからといって、特別なことでもなんでもない。

そして、私が思うに「こういうジャンルの読み物は昔からあった」ということだ。私が中高生だった頃なら、「平凡」や「明星」などの雑誌には、「男の子と海で知り合ってドキドキしちゃう」というような「一夏の経験」と称する手記がつきものだったし、富島健夫先生の『制服の胸のここには』などに代表される、ジュニア小説というジャンルもあった。ケータイ小説とは、これに匹敵するものなのではないか。

ところが最近のティーンエイジャー向けの雑誌にはファッション情報ばかりでエッチな話がなく、このジャンルが空白だった。しかし10代の女の子なんて妄想の塊だから、常にそういうものを必要としている。つまり今のケータイ小説は、一種の女の子向けのポルノグラフィーなのである。女の子はダイレクトな性描写より関係性に欲情するものだから、そこに至るまでの恋愛ストーリーが不可欠なのだ。

それではケータイ小説はすべてエッチな内容なのかというと、それはさまざまである。しかし特徴として間違いなくいえるのは「不幸のてんこもり」であるということ。主人公は十代の女の子で、自殺、いじめ、リストカット、難病などの不幸がこれでもかと出てくる。