新聞社や電鉄会社にとって、プロ野球経営は本業とのシナジー効果が大きかったのであり、日本プロ野球草創期の各チームは、この「本業シナジーモデル」にもとづいて、産声をあげたといえる(37年からリーグ戦に参加したイーグルスも、後楽園球場を経営する株式会社後楽園野球倶楽部によって設立された。したがって、イーグルスも、「本業シナジーモデル」に則って誕生したとみなすことができる)。その後も、西鉄、東急、毎日、近鉄、国鉄、サンケイ、西武が、「本業シナジーモデル」に従って、球団経営に携わった。

2番目に登場したのは、球団経営を親会社の広告宣伝と結びつける「広告宣伝モデル」である。日本のプロ野球は、50年代ごろから国民的人気を博すようになり、初めはラジオ、60年代以降はテレビを通じて、さかんに放送されるようになった。プロ野球の試合中継やスポーツニュースがメディアの人気番組になるにつれ、球団が発揮する広告宣伝効果が注目されるようになった。そのため、40年代末からは、従来の新聞社や電鉄会社ではない、異業種の親会社による新球団の設立や経営があいついだ。

映画会社(大映、松竹、東映)や食品メーカー(大洋漁業、ロッテ、ヤクルト、日本ハム)だけでなく、トンボ鉛筆、日拓ホーム、太平洋クラブ、クラウンガスライター、オリックスなどが、次々と球団経営に進出した。これらの企業は、新聞社や電鉄会社の「本業シナジーモデル」とは異なる「広告宣伝モデル」にもとづいて、プロ野球経営にかかわったと理解することができる。

なお、「広告宣伝モデル」を後押ししたものに、54年8月の国税庁長官通達がある。この通達によって球団経営で生じた赤字を親会社の広告宣伝費として損金扱いできる(換言すれば、親会社にとって法人税を節約することができる)ようになったことは、「広告宣伝モデル」に拍車をかける意味合いをもった。