一万円札が「1万円」の価値になる理由とは

【水野】その意味で、経済学者である私の関心を惹くのが、アート作品の価値と価格の仕組みです。なぜゴーギャンの作品が3億ドルにも跳ね上がるのか? さらに先ほど見せていただいたコンクリートと木の枝だけの小さな作品がなぜ、芸術作品として商品となるのか? 「有用性のないものほど価格が上がる」という見方も、いまの経済学ではうまく説明できないものであるように思います。

【山本】少し前まではゴーギャンの『ナフェア・ファア・イポイポ(いつ結婚するの?)』が2014年9月に3億ドルで落札され、最高額とされていました。直近では2015年9月にウィレム・デ・クーニングというオランダ生まれの抽象表現主義の画家の『インターチェンジ』という作品が、同じく3億ドルという値段をつけています。

しかし、それだけの高額な絵画は商品としてどれだけの有用性をもっているのか? 応接室などに飾って鑑賞することはできますが、それがなければ生活に支障をきたしたり、不自由をするという性質のものではない。しかし有用性の低さにもかかわらず、他のどのような商品よりも、ある条件では価値が膨れ上がっていく。その部分にこそ、私は資本主義の本質があるのではないかと思います。

『コレクションと資本主義 「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる』(水野和夫、山本豊津著・KADOKAWA刊)

【水野】山本さんはお金も同じ性質をもっているのではないか、と指摘されていましたね。

【山本】経済学者の水野さんの前で恐縮ですが、貨幣や紙幣もそれ自体に有用性はほとんどありませんよね。一万円札それ自体は、精巧に印刷された紙にすぎない。紙としての有用性ということで考えれば、メモ用紙1枚、ティッシュペーパー1枚の代わりにすらならない「使えない」代物なわけです。その原価はわずか22円といわれますが、それが1万円という価値になる。紙幣というのは価値の転換と飛躍がなければ成り立ちませんが、そうした意味でお金と芸術作品には共通点があるのではないか?

さらに芸術作品はマーケットでやり取りされることによって価格が上がっていく、ということを考えても、芸術を考えることが資本主義の本質的な部分を探ることになるのではないか、というのが、私の仮説なのです。

【水野】経済学では、価格は需給のバランスで決まるとされます。通常は有用性が高いものほど需要が高まると考える。しかし絵画などのアートは有用性が高いものではないにもかかわらず、何百億円という値段がつきます。そこには私たちが価値と考えるものが、有用性だけに限定されない性質をもっていることが示されているように思います。その部分を押さえておかねば、資本主義の真の姿、もっというなら人間の欲望の本質が見えてこないということかもしれません。