多数決の「適切な使い方」とは

とはいえ、多数決がダメな制度というわけではない。天才科学者フォン・ノイマンは、低性能な電気回路から高性能なコンピュータを作る「電気回路の多数決」原理を見出した。

低性能な電気回路は、本来「A」という信号を送るべきときに、エラーを起こして反対の「not A」という信号を送ってしまう。しかし3本のうち2本が同時にエラーを起こす確率は非常に低い。そこでノイマンは、低性能の電気回路を並列して3つ以上並べ、多数決の結果「A」という結果が出れば、それを採用することにしたのだ。結果、コンピュータが誤作動を起こす頻度は格段に下がった。かように多数決は、適切に使えば、「正しい判断をしやすい」という利点がある。電気回路を人間、コンピュータを集団に置き換えたとして、個々の人間が判断を間違えたとしても、集団の多数派による判断では正しい確率が高まっていく。

多数決が適切に使われるには、いくつかの条件がある。まず「ボスがおらず、空気に流されないこと」。3人のうち1人ボスがいて、もう1人がその意見に従う子分である場合、ボスの判断=多数決の結果になってしまう。そして「共通の目標があること」。

電気回路にはコンピュータを正しく動かすという共通の目標があった。人間社会であれば、「私たちの社会にとって必要なものを選ぶ」が共有されなくてはならない。これが「私にとって必要」もしくは「私の属する特殊な集団にとって必要」と考えていたら、私的利害のぶつかりあいになり、共通の目標が生まれない。

しかしこの条件を現実的に満たすのは、容易ではない。〈私たち〉よりも〈私〉の利益を尊重して、投票に向かう人は少なくないからだ。

適切に使うのが難しいのであれば、多数決で決めていいことには制限を設けるのが賢明である。日本の国会において多数決で決める法律は、憲法に違反してはいけないというルールになっている。これは「憲法を使って多数決に制限をかけている」状態と言えよう。また多数決が暴走しないためには、「複数の機関での多数決にかける」「多数決で物事を決めるハードルを過半数より高くする」ことも有効になる。

そもそも多数決は、どうでもいいことを決めるのには非常に適している手段なのだ。たとえば「昼飯は中華にするか和食にするか」を決めるとき、挙手して多いほうの意見を採用するのは、時間もかからず便利だ。しかしこうしたことでも、長い期間にわたって同じ選択が続きすぎると、少数派の鬱憤がたまって、集団の分裂を起こすことがある。それを防ぐには、多数派が多めにお金を払うことで明暗の差を縮めたり、たまにジャンケンで勝った人が行きたい店を決められるような運任せの要素を取り入れたりする必要がある。