出資者の媒体を有効活用するメディアミックス

この映画の魅力の一つに音楽がある。どんなに優れた漫画であっても二次元上では「音」の迫力を表現しきれない。この映画では音楽で二次元媒体がもつ限界を突破し、観客にビビッドな臨場感や興奮を惹起している。とにかく筆者は、この作品のテーマでもあるT.REXの「20th Century Boy」のズズズズーンという重低音のイントロを聞くだけでゾクッときてしまう。

堤監督自身がこの映画は「音楽映画の一種だ」とおっしゃるように「音」への思い入れが強い。コンセプトとしては「郷愁」を感じさせるような商業主義に走る以前の「正しいロック」やロック以外の音楽を挿入する場合も、そのあたりのセンスを理解できる作家にお願いし、自らも積極的に意見を述べたという。実際、音楽はムーンライダースの白井良明氏に依頼し、監督も「ここはピンクフロイドでいこう」とか、「ここはドアーズみたいなリズムでいこう」という意見を述べたそうだ。

ただどんなに秀逸な作品を作ろうとも、的確なプロモーション活動がなければ成果には結びつかない。とりわけ3部作という大作で、総製作費が60億円もかかっている作品では半端なプロモーションでは回収ができない。この映画ではその規模に見合った壮大なプロモーション活動が展開されていた。

まずプロモーションのための組織について明らかにしよう。昔の映画は、映画会社がすべて資金を拠出して製作し、自前の劇場に配給するというシステムだった。ところがテレビの普及により客足が遠のいて、製作費を捻出しづらくなった。そこで20年ほど前からテレビ局とタッグを組んで映画作りを行うシステムがとられるようになった。これが製作委員会システムだ。

「20世紀少年」も製作委員会が設けられ、東宝と日本テレビ、さらには電通などが一体となって出資し、映画作りが行われている。ただしこの映画の場合は、超人気漫画の本格実写版だったのでリスク分散的な意図はまったくなく、出資者の媒体を有効活用するメディアミックスを目的としていた。

実際、テレビでは定番のスポット広告やキャストパブリシティ(出演者にテレビ番組にゲストとして出てもらう)のほかに、画期的な前回作の放映を行っている。通常、テレビ局と映画会社とは、映画公開から1年以上たたないと地上波でオンエアしないという暗黙のルールがある。これは地方の公民館の日曜映画教室のようなところでは、しばらくの間上映し続けているからだ。その最中にテレビで放映されてしまうと、誰も見なくなり、配給会社は映画が売れなくなってしまう。

この映画の場合、第1章の公開が08年8月で、第2章の公開が09年の1月だった。つまり第2章の公開時にはまだ1年たっていなかったので、慣例にならえばテレビでのオンエアはできないはずだった。しかし第2章公開のプロモーションとして第1章のテレビ放映は行いたい。テレビの影響力は絶大だからだ。そこで、第1章を4割ぐらい削り、その削ったところに新撮を加えて、「特別バージョン」として新作的な扱いでオンエアしたのだ。「もう一つの第1章」はその「違い」がマグネットとなって20%近い視聴率を獲得したという。

さて映画の出資、配給を担う総本山の東宝は凄まじいプロモーション活動を展開している。その壮大な仕掛けを手がけた映像本部宣伝部プロデューサーの大垣敦生氏は当時の意気込みをこう語る。「日本映画はハリウッドに比べると、ちょっと低く見られているところがありました。私はこの映画でハリウッド映画、例えば『パイレーツ・オブ・カリビアン』とか、超大作にも負けないぐらいのプロモーションを構築しようとしました」。

そしてなされたのが巨大ロボットの具現化であり、ルーヴル美術館「モナリザの間」での会見であり、万博「太陽の塔」でのイベントであった。どれもスケールの大きさがけた外れで、その弾け方は尋常ではない。