9月25日、徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜のひ孫にあたる徳川慶朝氏が亡くなった。慶朝氏は茨城で「徳川将軍珈琲」なるコーヒー豆の開発と販売に取り組んでいた。実は徳川慶喜も大のコーヒー好き。曽祖父とひ孫がコーヒーでつながることになった裏話をひもとく。

幕末の味を再現した「徳川将軍珈琲」

今年は江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜による「大政奉還」150年にあたる。9月25日、慶喜の直系のひ孫・徳川慶朝(よしとも)氏が他界した。訃報を伝える各社の記事にあったのが、「茨城県のコーヒー会社と提携して『徳川将軍珈琲』を販売した」というくだりだ。故人のご冥福をお祈りしつつ、将軍珈琲の開発秘話や慶喜との共通点を紹介したい。

ネルドリップでコーヒーを抽出する故・徳川慶朝氏。(画像提供/サザコーヒー)

そもそも「徳川将軍珈琲」とはなんのことか。これは茨城県ひたちなか市に本店があり、県内に10店舗を展開する「サザコーヒー」が、慶朝氏と提携して発売したコーヒー豆だ。9月の販売数が47商品中2位の人気商品だが、今回、一躍その名がクローズアップされた。

「将軍珈琲」の豆を使った「徳川将軍カフェオレ」(画像提供/サザコーヒー)

江戸幕末に飲まれていたであろうフランス風珈琲を現代風に再現したもので、インドネシア・スマトラ島の最高級「マンデリン」(アラビカ種のコーヒー豆の銘柄)を中心にブレンドしてある。焙煎は深煎り(フレンチロースト)で、ミルクとも相性がよいコーヒーだ。

商品開発の発端は、1998年にNHKの大河ドラマ『徳川慶喜』が放映されたことだ。江戸幕府最後の将軍・慶喜は水戸徳川藩の第9代藩主・徳川斉昭(なりあき)の七男で、放映中、地元・茨城県は盛り上がった。それが慶朝氏と結びつくのは、講演依頼がきっかけだ。

「コーヒー提供」の付帯条件に快諾

慶朝氏に講演を依頼したサザコーヒー会長・鈴木誉志男氏が、経緯をこう話す。

「99年、日本コーヒー文化学会の本部から茨城支部に、『水戸市で、コーヒーを楽しむ会を開催してほしい』と要望がありました。当時、私は茨城支部の事務局長で、思案の末に『城下町水戸でコーヒーを飲む』をテーマに準備を進めたのです。集めた資料にはフランス軍提督姿の慶喜公の写真もあり、『コーヒーを飲んだのではないか』と思いをはせていました」

そんな時期に旧知の週刊誌記者の紹介で、当時フリーランスのカメラマンだった慶朝氏の連絡先を知る。そこで次のような依頼をした。

「僭越ながら『将軍慶喜とコーヒー』という演題で、講演をしていただけないでしょうか。ただし申し訳ないが、日本コーヒー文化学会は資金に余裕がなく、講演料は薄謝しか出せません。その代わり、コーヒーだけはふんだんにあります」

この付帯条件が慶朝氏の心を動かした。実は、同氏は青山にあったコーヒー専門店「ダボス」(現在は閉店)の常連客で、大のコーヒー好きだったのだ。

「慶朝さんの講演は成功裏に終わり、これ以降、サザコーヒーを訪れるようになりました。コーヒーに強い関心を持つ本人と、私の息子・太郎(副社長)も意気投合し、太郎が『徳川将軍にちなんだコーヒーを開発したらどうか』と言い出したのです。慶朝さんも乗り気で、『ぼくに焙煎させてほしい』と言われました。そこで、焙煎機が異なるサザコーヒー、茨城支部会員の店『サワコーヒー』『マイルストーン』で研修が始まり、その後、サザ本店で本格的に学ばれたのです」(鈴木氏)