「映画は年に1、2回」という人に届くかどうか

『ワンダーウーマン』はアメリカで1941年に誕生したコミック作品で、日本の『鉄腕アトム』や『ドラえもん』よりずっと歴史が古いのですが、いかんせん日本ではほとんど知られていません。『スーパーマン』『スパイダーマン』『バットマン』などに比べると、知名度は圧倒的に低いといえるでしょう。

もちろん、知名度の高低と作品の満足度はまったく別物です。が、知名度が低いと作品を評価する土俵にすら立たせてもらえません。「それについて知らない」ことは、人をコンテンツ消費から遠ざけるからです。

(C)2017「関ヶ原」製作委員会

多くの人は、まったく知らないものにはカネも時間も使いません。未知のものにカネと時間を使うのは、バイタリティにあふれ、リスクを恐れず、好奇心と挑戦心にあふれた、ごく一部の精神的エリートたちだけ。世の多くを占めるごくごく普通の人は、コンテンツ消費に対してもっとずっと保守的、かつ怠慢です。

「コンテンツ消費に保守的な人」を映画分野で言うなら、「年に1、2回程度しか劇場に行かない人」です。彼らを劇場に来させなければ、手放しの大ヒット――目安として興収40~50億円――は見込めないでしょう。

後ろめたさを突いた『応仁の乱』

一方で、「完全に知っている」ものにも、多くの人はカネと時間を使いません。既に知っていることにカネと時間かけるほど、人々はヒマではないからです。そのような消費は「無駄」と言われます。

つまり世の多くの人の食指を動かすコンテンツとは、その中間、「さわりだけ見聞きしたことがあって興味はあるけど、ちゃんと全容は知らないもの」です。その中身が人に誇れたり、自尊心を満たせたりする「教養」に近いものであれば、実利的なメリットも上乗せされるので、食指はさらに活発に動くでしょう。

『関ヶ原』を観たいと思った観客の動機のひとつには、こんなものもあるのではないでしょうか。「関ヶ原の戦いは歴史の授業で聞いたことがあるし、たぶん大事な教養なんだろうけど、実はよく知らないので、長年後ろめたかった。これ1本観て全貌が理解できるなら、観てみようかな……」。まさに「さわりだけ知ってるけど、ちゃんと全容は知らない」の典型です。

2016年10月に刊行後、8カ月で37万部のベストセラーとなった『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)もそうでしょう。誰もが「応仁の乱」は歴史で習った(記憶がある)が、ちゃんと全容は説明できない。人々が抱くその後ろめたさを、同書は見事に突きました。