主権回復当時の集団的自衛権をめぐる議論

1950年代の議論については、拙著『集団的自衛権の思想史』を見ていただきたいが、例えば1952年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が国会で審議された際に、日本社会党の水谷長三郎は、日本がアメリカの「保護国」化されたと述べ、政府の「対米依存主義」と「秘密外交」を糾弾した。一方で社会党としては、「国連を現存する唯一の世界的平和機構としてこれを支持し」つつ、「世界の現状におきましては、各国の自由、独立と秩序維持の見地からいたしまして、国連憲章第五十一條の集団的自衛権と地域的安全保障制度を、憲法の許す範囲において是認する」と宣言した。

国会に参考人招致された国際法学者の大平善梧・一橋大学教授は、日本は集団的自衛権を持っていると明確に肯定し、日米安保条約は「集団的自衛の発動」だとする証言をおこなった。国会審議の過程では日米安保条約が集団的自衛の条約であることは自明視されていたし、「集団安全保障」の措置だとも説明されていた。

自衛軍整備を主張する改進党議員は、「集団的自衛権の行使によつて」将来は「太平洋地域同盟」の構想にそった「集団安全保障機構」に参加するやり方について問題提起をし、社会党議員は「集団的自衛権の強化」が海外での戦争につながらないかを懸念し、法的にではなく政治的に反対していた。政府は架空の話には答えられないとしつつ、日米安保条約が「一種の集団安全保障条約」であることは明言していた。

佐藤達夫・内閣法制局長官は、「問題は日本の憲法上許されておる自衛権というものの幅がきまりさえすれば、それに集団的という文字がつこうが、個別的という文字がつこうが、実体はかわらないことと思います」と述べ、「よその国と手をつないだからというために、日本の本来許されている自衛権というものは幅広く広がつてしまうということはもちろんありません」と答弁した。

自衛隊を海外派兵することも可能なのではないかという質問に対しては、佐藤長官は「私の一元的に考えております自衛権」によれば、満州事変のような海外派兵を自衛権で正当化することはできないが、「交戦権を持たずに一体どの程度にお役に立ち得るかどうかという実際問題」を度外視するのであれば、「海外公務員派遣と申し上げまして、お笑いになりますけれども、海外に対する公務員の派遣がその相手国に対してお役に立つ場合もあり得ると思います」と答弁した。

学者たちはどう考えていたか

当時の憲法学者のなかにも、「憲法が自国の安全と生存を放棄する」わけではないので、集団安全保障が機能していない状況であれば、特定国との暫定的な安全保障措置をとることは認められると論じた者もいた。東北大学の関文香は、「日米安全保障条約は特定の一国であるアメリカ合衆国との条約である点に問題もあらうと思われるが、(中略)憲章第五十一条に基く集団的自衛権により、平和愛好諸国民が公正妥当な安全保障であると認め締結せられるものであって、何等(なんら)憲法と抵触するものではないと信ずる」と述べている。

國學院大学の神谷龍男によれば、世界情勢の動向として、「アメリカ側もソヴィエト側も集団自衛への準備に努力を傾注している」。これは、「国連による統一的集団安全保障の原則線を離れて、例外的な各加盟国のグループによる集団安全保障」が進展している状況である。「今や世界をあげて集団自衛時代、所謂(いわゆる)武装平和の時代を招来している」。そこで日米安保条約は、「個別又は集団自衛権が日本にあることを認め、日本は自発的にこの集団安全保障取極に加入できるとしたのである。そうすると日本が武力攻撃を受けた場合、もし国連が即座に有効必要な措置をとらないならば、国連がこの措置をとるまでの間、臨時的に個別あるいは集団自衛をすることができる」。