「俺のサクセスストーリーが始まる」と思った

南海キャンディーズ・山里亮太さん

【山里】M-1グランプリ2004に初めて出たときは、「ここから俺のサクセスストーリーが始まる」と思いました。M-1でウケれば絶対に売れる、という成功のストーリーが自分の中で出来上がっていました。あの舞台で、しずちゃんというえたいの知れない存在を「テレビで使える」と思ってもらう。その成功戦略にハマっていく感じが、最初の充実感でした。

でも、あんなに憧れたポジションだったはずなのに、テレビ番組に出るようになってみると、そこにはもっと面白い人たちがいっぱいいたんです。伝説をたくさん持った天才たちに会ってしまうと、自分はなんて薄っぺらい人間なんだろう、自分の能力って低いなぁ、と毎日思い知らされて嫌でしたね。

【若新】立派なステージに上がったら、今度はそこにいる人たちとの比較が悩みになったということですね。東大生の多くもそうらしいです。受験に合格した瞬間は、「これで自分はもう充実した人生がずっと送れる」と感じるらしいんですけど、入学したら周りにもっとすごいやつらがいっぱいいて、すぐに比較に悩まされる。自分の存在価値を見失いかける人までいるようです。間違いなく「勝ち組」なのに。

昔と比較しない。自分の時代に基準を置く

【山里】よく芸人友達と話すのは、“芸人がやっちゃいけないのは、先輩芸人さんが今の自分の年齢の時に何をやっていたかを考えちゃうこと”。例えば、紳助さんが「オールスター感謝祭」の司会を務めはじめたのは30代半ばです。自分がその年齢で、100人もの芸能人を仕切れたかって言ったら絶対無理。でも、そういう比較はやっちゃいけないですね。

【若新】それ、面白いですね。ある程度成功を収めたビジネスマンや上場した経営者などは、「あの成功者は、何歳ですでにこれを成し遂げていた」とよく言います。でも、それはやっちゃいけないと。

【山里】だって、時代背景が違うでしょ。その時代でそれをやったすごさは確かにある。ただ、バカリズムさんともこういう話をしますが、漫才のネタを見ると、僕らのほうがはるかに進化はしている。昔のレジェンド的な人たちは、いま僕らがやってるようなネタはできない。そう考えることで、不毛な嫉妬はやめようって。

【若新】それは現代のビジネスマンにも大切なことかもしれませんね。社会の変化はどんどん激しくなっているし、時代が変われば成功の基準も変わってきます。他人が生きた時代に基準を置くのか、自分の時代に基準を置くのか。自分の成功に、他人の成功の基準を持ち込んでしまったとたん、充実感のようなものは逃げていってしまうのかもしれません。