キャリアを決定付けた最初の先輩

でも指導してくれた3年上の男性の先輩がよかった。「せっかく保険会社に入ったのだから約款くらい読めなければダメだよ」と言って、毎日その読み方を教えてくれたのだ。当時の一般職はそこまで要求されていなかった。

「先輩のおかげで保険会社とは何か、自分の仕事がどんな意味を持つのかがわかりました」

その後長いキャリアを積む陶山さんにとって、最初に指導してくれた先輩の存在は大きかった。

(上)判断業務を任せてもらえるようになり、仕事の面白さを感じた頃(中)阪神淡路大震災の災害対策本部立ち上げを経験(下)医療保険サービスセンター部長ののち、静岡保険金サービス部長

両立は「頑張りすぎない」がポリシー。一番大変なとき、子どもの面倒や家事を代わりにやってくれるお手伝いさんを頼んだのだ。

「当時は育休も時短もなかったので、週に2日、4時間ずつ来てもらっただけですが、気持ちに余裕ができ、先の計画を立てたり、仕事の勉強をしたりすることができました。今は社会のサポートが厚くなったので、女性にはどんどんチャレンジしてほしいですね」

子どもが小学校の高学年に上がったタイミングで総合職に挑戦。その年は忘れられぬ年にもなった。阪神淡路大震災が起き、保険金支払いを統括する部門にいた陶山さんは神戸と大阪に対策本部を立ち上げ、全国から応援の職員を集める大仕事を任されたのだ。

最初は本社にいながら、現地入りする職員の手配や宿泊場所の確保、対策本部に備えるヘルメットや安全靴などの配送手続き、さらにはスムーズな保険金支払いを実現する体制づくりを進めていたが、本社にいてはどうしても業務にスピード感が出ない。

「現地のお客さまに直接お話をうかがうのが私の仕事の原点だと思ったので、上司にお願いして行かせてもらいました。保険の意味を再確認できましたし、組織を動かす魅力も感じました」

その仕事も含め、総合職転換後の実績を買われて41歳で次席に抜てきされ、実質、保険金支払いの組織を動かしていくことになる。

「組織をどうしていくか考える立場。やりがいを感じました」