日本はポルトガルほどの繁栄は極めていないし、バブルのときに後世に残る建造物の一つもつくったわけではない。だからポルトガルは参考になりませんが、ここで一つの時代が過ぎ去ったということは確認しないといけない。いつまでも若い気になって、世界に覇を唱える必要はない。これからの日本は少子化と豊かな精神の大国への道を歩いてゆけばいい。

『林住期』や『遊行の門』という本で、私は50歳までは家族のため、社会のために働いて、社会人としての務めを終えた50歳以降は世のために働くことが人生の後半期の楽しみになると提案しました。日本という国もこれからは富まずともアジアのため、世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです。

日本には世界に誇るべき思想が2つあります。一つはSyncretism(シンクレイティズム)、神仏混淆という考え方です。仏壇と神棚が同居していても争いにならない。伊勢神宮もあれば、本願寺もある。

近代ヨーロッパでは宗教以前の原初的な信仰形態として軽蔑され、日本の知識人も神仏習合を日本文化のアキレス腱のように恥ずかしがっていました。しかしそうではない。一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、Syncretismの共存思想が輝きを放つのです。

もう一つはAnimism(アニミズム)、山にも川にも、一木一草にも精霊や神が宿るという考え方です。これも原始的な思想で恥ずかしいものとされてきました。キリスト教文明では神の光は動物以外には差さない。だから、山川草木悉有仏性などという考え方はとんでもない。

しかし今日の環境問題の根本には西欧的な人間中心主義があります。人間の生活をより豊かにするために森林が伐採され、水や空気が汚され、それが肝心の人間の営みを危うくしている。人間も地球の一員という発想は、Animismの根からしか生まれてきません。

思想は知的財産です。これまで日本人の知性のアキレス腱とされてきた2つの思想、SyncretismとAnimismを感覚的な暗黙知のままではなく、思想として体系化して日本から世界に発信してゆく必要がある。思想、アイデア、学問、文化。これからの日本はそうしたもので世界をリードしていけばいい。人口は少なくてもいい。経済大国になる必要もないと私は思っています。

(大沢尚芳=撮影)