角栄の選挙区だった中選挙区時代の旧新潟3区には、日本を代表する発電設備が2つある。水力発電では日本最大の出力を誇る奥只見発電所と、運転を停止しているものの世界最大出力の柏崎刈羽原子力発電所である。これほど大規模な発電設備が揃ったのは、もちろん、そこに角栄がいたからである。

彼が最初に手がけたのは水力発電だ。電源開発促進法が成立した52年は、米軍占領後まもない時代である。まだ、東西両陣営の対立が鮮明化しておらず、日本の再軍備を警戒していたGHQは、発電力の増強にいい顔をしなかったという。戦時中に攻撃を受けた都市に近い火力発電所や変電所などが使用できず電力供給量は低下する一方で、戦後復興に向けて電力需要は急増し、日本は深刻な電力不足に陥った。東日本大震災の直後に行われた「計画停電」の混乱を思い出せば、みなさんも少しは当時の状況が想像できるだろう。角栄が日本には電力が必要だと考えたことにも納得できるのではないか。

当時の大規模発電といえば水力発電だった。角栄は、世界恐慌の際に米国が実施したニューディール政策によるテネシー川開発のように、河川の大規模開発による発電設備建設には、政府のリーダーシップが必要だと考えたらしい。そこで、電源開発促進法を議員立法で成立させて、電源開発株式会社を設立し、すぐに大規模ダムの建設に取りかかった。

天竜川の佐久間ダム、黒部川の黒部ダム、只見川の田子倉ダムなど、水力発電用の巨大ダムはこの時期に建設されたものがほとんどだ。田子倉ダムと同じ只見川のさらに上流につくられた奥只見ダムは、国内有数の豪雪地帯として知られる新潟と福島の県境に位置している。ちなみに発電所の所在地が新潟県側の角栄の地元だ。08年に岐阜県の揖斐川に徳山ダムができるまでは、長年、総貯水量日本一の座を守っていた。