「風光明媚」「おいしい食」ではダメ

リアス式海岸が美しい気仙沼は、東日本大震災後の大津波で壊滅的な被害を受けた。一方で震災後、さまざまな支援に立ち上がった著名人や一般人との出会いが、現地の人の刺激となり、活動の見直しにもつながった。

たとえば「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)を運営する糸井重里氏(コピーライター)は、震災の年に気仙沼支社を開設し、インターネットサイト「気仙沼のほぼ日」を発信している。観光誘致の事務局「一般社団法人・気仙沼地域戦略」の理事を務める小野寺靖忠氏(オノデラコーポレーション専務。通称ヤチさん)は、最初に糸井氏をクルマで市内に案内した時、厳しい指摘を受けた。

「ヤチ君ね、ぼくはいろんな土地に行ったけど『風光明媚で、食がおいしい』という街は日本中至るところにあるんだよ」

気仙沼港と停泊する漁船

震災前から、本業の「アンカーコーヒー」運営を通じて地域活動を続ける小野寺氏は、この言葉で「具体性のある体験型訴求」を考え直す。他の人たちにも共有されていった。

リクルートに学んだ伝え方

また、経済同友会が派遣した各企業から出向する実務家との交流も刺激となった。その1人に小野寺氏と同じ42歳で「戦略会議」の理事も務める森成人氏(リクルートライフスタイル「じゃらんリサーチセンター」研究員)がいる。大阪府出身の森氏は、地縁のなかった土地で“気仙沼人”として活動する。菅原会頭が出向者の役割をこう明かす。

「これまで、地元の人間は情報の伝え方が上手ではありませんでした。商品開発や売れる仕組みづくりでも、各企業の実務で鍛えられた出向人材の知見に学んでいます」

森氏に限らず、気仙沼の情報発信には少なからずリクルートの影響も受けている。「ちょいのぞき」というネーミングも、旅行メディア「じゃらん」を思わせる。