「政権の受け皿がない」と言われて久しい。7月の都議選以降、「安倍1強」は終わりに向かいつつあるのだが、それに代わる塊がなければ政治は変わらない。野党の長男格・民進党は頼りない状況が続き、前原誠司氏、枝野幸男氏の争いとなった代表選も迫力を欠く。そんな中、政界再編仕掛け人として、永田町に君臨してきた自由党代表・小沢一郎氏は今、何を考えているのか。小沢氏がイメージする「受け皿」づくりはズバリ、2段階論だという――。
第27回共産党大会で、あいさつする自由党の小沢一郎代表。=1月15日、静岡県熱海市(写真=時事通信フォト)

自民党を2度下野させた男

小沢一郎氏の全盛期を知らない人のために、簡単に彼の足跡を振り返っておきたい。現在は75歳。衆院初当選は1969年だから勤続50年に近づいている超ベテランだ。

彼ほど政党や政権を作っては壊した政治家はいない。40代で自民党幹事長に就任。政権中枢で辣腕をふるったが、自身が所属する自民党竹下派内の権力闘争に端を発した政治改革政局で自民党を離党し、新生党をつくった。以来、新進党、自由党をつくり、民主党に合流。また分裂して「国民の生活が第一」をつくり、未来の党、生活の党、「生活の党と山本太郎となかまたち」を経て、今は再び自由党と名乗る政党の代表についている。

小沢氏の2つの功績は1993年の非自民・細川連立政権と、2009年の民主党政権を誕生させた中心人物であるということ。自民党を2度下野させた男なのだ。

小沢氏の政治手法は、はっきりしている。まず選挙で多数派形勢を目指す。それがダメなら選挙後の数合わせで多数派を目指す。その際は、予想外の人物を首相候補に立てる。

小沢氏の「最高傑作」は細川政権

「最高傑作」が細川政権だ。小沢氏は自民党を割って新生党をつくり、93年の衆院選に挑んだ。自民党を過半数割れに追い込んだが、新生党、社会党、公明党、民社党などの「非自民」勢力も過半数を取れなかった。小沢氏はただちに「第3極」の日本新党・細川護熙代表、新党さきがけの武村正義代表らと接触。「われわれと組まなければ自民党の延命に手を貸すことになる」と迫り、自分たちの側に引きずり込んだ。

その時、首相候補にすえたのが細川氏だった。参院議員経験はあったものの衆院議員としては当選したばかりの細川氏が首相になるとは誰も想定していなかったが、それにより非自民政権が誕生。細川ブームが起こる。小沢氏の豪腕がなければ、決して実現しなかった政治ドラマだ。