アメリカで1990年代中頃から急速に増え始めた独立リーグは、現在8リーグ存在する。メジャーリーグやマイナー組織を自由契約になった選手や、高校・大学を卒業後、メジャー組織と契約を結べなかった選手で主に構成されている。

競技レベルは、そのリーグの人気や経営基盤に比例する。経営が不安定で、発足から数年で消滅するリーグも多い。スポンサー集めや集客などがうまくいくと、リーグとしての興行が成り立ち、設備投資にも力を入れることができる。選手の給与水準も高くなり、より良い選手を獲得しやすい。独立リーグの中には、観客動員数でメジャーリーグにひけをとらない、セントポール・セインツ(アメリカン・アソシエーションリーグ)のような人気球団も存在する。

独立リーグ最高峰と呼ばれるアトランティック・リーグは、元メジャーリーガーも在籍していた。マイナーリーグはメジャーリーグを頂点に上から3A、2A、1A、ルーキーリーグと、競技レベルに応じてランク分けされているが、アトランティック・リーグは3Aと同等と言われている。かつては、元千葉ロッテの渡辺俊介や元阪神の坪井智哉が在籍していたこともある。また、2Aレベルといわれるアメリカン・アソシエーションリーグでは、かつてオリックスに所属していたアレッサンドロ・マエストリや、阪神・千葉ロッテで活躍したクレイグ・ブラゼルもプレーしていた。

NPBの一歩手前、もしくは匹敵するレベルを持つ独立リーグも少なくなく、メジャーのスカウトたちも、そうしたリーグの球場に頻繁に足を運ぶ。

1台のベッドを2人で使う過酷な遠征

13年に私が所属していたペコスリーグは、アリゾナ州、ニューメキシコ州など、アメリカ南西部を中心に行われているリーグだ。独立リーグは全米を移動するほどの資金はないため、地域ごとに展開されている。ペコスリーグは最も薄給のリーグで、月給200~400ドル(当時のレートで、2万3000~5万円ほど)。2カ月半で70試合をこなす過密スケジュールで、遠征になると小さなバンで10時間移動の後、着いた先ですぐ試合、ということもある。経費削減のため、遠征先のホテルでは2人部屋を4人で使い、ベッドは2人で1台という過酷さだ。若い選手が多く、荒削りなプレーが目立つのがこのリーグの特徴でもある。

15年に所属したカナディアン・アメリカンリーグ(通称キャナムリーグ)は、アメリカとカナダに3球団ずつあり、それぞれ1試合あたりの観客動員数は数千人規模で、競技レベルもアメリカン・アソシエーションリーグと肩を並べる。最低月給は800ドル(8万8000円)で、元メジャーリーガーのような実力者の中には、5000ドル以上もらっている選手もいるという。

所属チームでの1枚(撮影:J.W.Toy)

現在私が所属するソノマ・ストンパーズでは、1週間に6試合をこなし、3カ月で78試合が組まれている。ソノマが属するパシフィック・アソシエーションリーグは、カリフォルニア州北部で行われ、競技レベルや給与面でいうとだいたい中堅のリーグだ。観客は多い時には1000人以上入るが、平均的には200~300人といったところ。選手の住居は、球団が用意してくれた地元のホストファミリーにお世話になる。平均給与がだいたい月700~800ドル。食事は毎試合後に球団から用意してもらえるので、特に贅沢をしなければ問題なく生活できる。試合が始まるのは、毎日夕方18時からがほとんど。選手たちは試合前練習やグラウンド整備などのため、5~6時間前には球場に来て準備を始める。気軽にどこか出かける時間や余裕もなく、シーズン中は野球漬けの日々を送っている。

ノーアポで監督に入団を直訴

アメリカやカナダの独立リーグのほか、オーストラリアのクラブリーグでプレーしたこともある。やっとの思いで契約を勝ち得ても、成績不振でクビになるのはどこの国も共通している。結果が出ないとすぐに解雇されるのが、海外野球の厳しさだ。

だからと言って、簡単には引き下がれない。所属チームがない時期は、各リーグの試合が行われている球場を回り、スタンド最前列から、また時には球場の外の職員通用口の前で選手やスタッフに話しかけ、監督につないでもらい、拙い英語で「入団テストを受けさせてくれ」と懇願する。わざわざ日本から来たことを知れば、たいてい試合前練習に交じらせてもらい、実力ぐらいは見てもらえる(たまに門前払いもあるが)。多くの場合、登録枠に空きもないし、抱えている戦力に問題がなければ契約に至ることはない。それでも、心意気を買ってくれる人もいる。キャナムリーグのトロワリビエール・イーグルスの当時の監督、ピエール・ラフォレストは「その行動にリスペクトだ」と言って、契約してくれた。チャンスは自分で作り、自分でつかみに行くものだ。