105歳という年齢とは思えないほど活発でにこやかな表情。7月18日に他界した聖路加国際病院名誉院長・日野原重明さんの「生き方」の極意は「冬の笹の葉のように」だった。マイナス思考のせいでストレスを増やしてしまいがちな現代人が学ぶべき、「静かに耐えて待つ」方法とは?

だから105歳の生涯を現役医師として全うできた

聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生がお亡くなりになりました。105歳まで現役を貫いた見事な生涯。仕事に情熱を傾ける生き方、最後の命が尽きるまで他者に貢献しようという姿勢に感銘と憧れを抱いた方も多いのではないでしょうか。

多くの著書でよりよい「生き方」を教えてくれた。(左)『生きるのが楽しくなる15の習慣』(講談社+α文庫)、(右)生きかた上手(ユーリーグ)

私もそのひとりです。

習慣化コンサルタントの私が心から先生をリスペクトする理由。それは、日々の生き方・働き方にあります。医師として、また病院という組織のトップとして、歩む道には山もあれば谷もあったはずです。多くの試練を乗り越えることができたのは、先生独自のストレスマネジメント法があったのです。

イチロー、孫正義……「逆境を乗り越える人」の思考習慣

私が、かつてさまざまな分野の「逆境を乗り越える人」の思考習慣を研究していたときのことです。ソフトバンクの孫正義さんや大リーガーのイチロー選手などとともに日野原先生の考え方も著書を通じて研究しました。そこで、信じられないような苦難に襲われたことを知ります。代表的なものはこの2つです。

▼日野原先生に起きた苦難1

先生は20歳の頃、結核性肋膜炎にかかりました。当時、結核は死の病と言われました。39度の高熱が8カ月も続き、トイレにも行けないほどの重症状態が続いたそうです。心理的・肉体的ダメージは相当なものだったと想像できます。ご自身もさすがにこれは「もうダメかな」と思った9カ月目に奇跡的に熱が下がりはじめ、治ったそうです。

▼日野原先生に起きた苦難2

次の苦難は1970年、3月31日に起きた「よど号ハイジャック事件」でした。
なんとその飛行機に先生は搭乗していました。ダイナマイトを抱えて北朝鮮へ亡命を求める日本赤軍メンバーと日本政府との交渉は膠着状態が続き、人質として旅客機に長い時間、閉じ込められました。命を奪われるかもしれない不安、いつ解放されるのか先が見えない焦りで、生きた心地がしなかったそうです。結局、4日間も幽閉が続き、最終的には韓国の金浦空港で解放されました。