一連のエピソードで分かる通り、国会議員としての人生は同時にスタートした安倍氏と野田氏は、どちらかが浮上するとどちらかが沈没するという不思議な双曲線を描いてきた。そして野田氏にとって安倍氏は自民党に復活させてくれた恩人。竹を割ったような性格で言いたいことをズケズケ言う野田氏だが、安倍氏に対して個人的な恨みはない。

「要職なら秩序に従う」という政治哲学

安倍氏が首相に復帰した2012年12月、野田氏は党内議論のとりまとめ役で党3役の1角となる要職・総務会長に抜てきされ、14年9月まで務めた。この間、特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使を一部認める閣議決定もあった。どちらも、世論から激しい反発が出る中で結論を急ぐ安倍氏に対し党内からも異論が出て総務会は荒れた。しかし野田氏は結果として安倍氏の意向通りに動いた。集団的自衛権の閣議決定についてを議論した時は、総務会の慣例である全会一致による了承を行わず、野田氏が一任をとりつけて了承とみなす、という「荒業」まで使った。

無役の時や「干されている」時は奔放に発言し政権批判もするが、政府や党の要職につけば、その中の秩序に従う。これが野田氏の行動パターンであり、政治哲学でもある。

「暴れん坊」も入閣するとブログ公開を中断

同じようなことは河野氏にも言える。河野氏は「ひとこと多い」政策通として知られる。自身のブログでは、政府与党の方針への批判や「暴露話」のような書き込みもする。2003年、自衛隊のイラク派遣を決める際は反対の論陣を張った。超党派の「原発ゼロの会」共同代表で原発再稼働には批判的な立場だ。最近では、南スーダンPKOの日報を破棄したと説明した防衛省に党行革本部長として調査を求め、隠蔽が明らかになっていくきっかけをつくったことが記憶に新しい。

だが、国家公安委員長として入閣した15年10月から翌年8月までの間は「暴れん坊」ぶりは影を潜めていた。過去のブログを「メンテナンス中」として、公開を一時中断するという「らしくない」ことまでしている。ポストにつくと言動が慎重になるののは野田氏と同じだ。