そうなると当然、次の疑問がわく。では確率を経験則で判断しようとするやり方が、深刻な計算違いにつながるのはどんなときだろうか。ランダムな要素を持つものを評価するよう言われたとき、というのが答えの一つである。人は判断しようとしている不確実な出来事が、母集団に似ているだけでは不十分に感じると、ダニエルとエイモスは書いている。「その出来事が、それを生み出したプロセスの性質も反映するはずだと考えるのだ」。つまりプロセスがランダムなら、その結果もランダムに見えるはずだ、ということである。彼らは“ランダム”についての頭の中のモデルが、そもそもどのように形成されたかは説明していない。ただ「ランダムな要素があるときの判断をよく見てみよう。人の頭の中にどんなモデルがあるか、わたしたち心理学者の意見はかなり一致するだろう」と言っているのだ。

ステレオタイプ化された“ランダム”

第二次世界大戦中、ロンドン住民は、ドイツは標的を絞って爆撃を行なっていると思っていた。一部の地域が何度も爆撃される一方で、まったく爆撃されないところもあったからだ(のちに統計学者が、それは無差別爆撃が行なわれたときに予測される分布とぴったり同じであることを証明した)。また、たいていの人は、1つの教室にいる2人の学生の誕生日が同じだったら、たいへんな偶然だと感じるが、実は23人のグループで、同じ日に生まれた人が2人いる確率は50%を超える。

このようにわたしたちは、本当のランダムとは違う、一種のステレオタイプ化された“ランダム”のイメージを持っている。そのステレオタイプには、実際のランダムな配列で起きうる連続性やパターンは含まれていない。20個のおはじきを無作為に5人の少年に配るとき、実際には(2)のように、それぞれ4つずつになるほうが、(1)のような配分になるよりも確率が高い。しかしアメリカの大学生は、(1)のような均一でない配分のほうが起きる確率が高いと断言した(※編集部注:トヴェルスキーが大学の講義で行った実験。20個のおはじきを5人の子どもに何度もランダムに配ったとき、(1):4個、4個、5個、4個、3個 (2):みな4個ずつ どちらのパターンが多くなると思うかという問われると、学生の多くは(1)を選択した)。なぜか? それは、(2)は「ランダムなプロセスの結果としては、きっちりしすぎているように思える」からである。

マイケル・ルイス
作家。1960年、米ニューオリンズ生まれ。プリンストン大学から、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに入学。1985年ソロモン・ブラザーズに職を得る。ちょうど、ソロモンが住宅ローンの小口債券化を開発した時期に立ち会い、その債券を売ることになった。その数年の体験を書いた『ライアーズ・ポーカー』(1990年、角川書店)で作家デビュー。
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