ゆっくり向き合うことで最適な送り方が現れる

鎌倉自宅葬儀社で自宅葬を行った喪家からは、料金の安さ以上に、そうした肩肘張らない自由さが評価されているという。「葬儀の際の普段着で過ごす喪家もいらっしゃいます。もちろん儀式性を重んじる喪家が多いですが、何より大切なのは故人をしのぶこと。それを分かったうえで自由に選択されているのだと思います」

従来とは勝手の違う葬送スタイルなので、最初は戸惑う喪家も少なくない。しかし、時間をかけて向き合っているうちに、多くの場合は理解してくれるという。

鎌倉自宅葬儀社で葬儀を行うときは、馬場氏が自宅葬コンシェルジュとして喪家と丁寧に話し合いを行う。

どのプランでも、1日目は何もしないように勧めている。ひとまず落ち着いて故人と向き合い、翌日からゆっくりとやるべきことを決めていく。事前相談や生前予約のときも含め、スタッフは何のために何か必要かの説明をするだけで、具体的な提案はしないようにしている。そうすることで喪家のひとりひとりの思いが表に現れるようになるのだという。

ピアノが好きだった故人をしのぶべくピアノの横に棺を安置し、最後の晩には娘さんが伴奏して皆で歌を歌ってお別れの会としたり、家のテラスで菜園を眺めながらお茶の飲むのが好きだった故人をしのび、菜園のぼたんの花を棺に入れて送ったり、亡くなった10日後に故人の誕生日があるからと、あえて葬儀の期間を延長して誕生日にお別れするようにしたり……。ゆっくりと向き合った時間は、いろいろな追悼の形を生んでいった。

ピアノの前に棺を安置、娘さんのピアノに合わせて歌を歌うお別れの会を行ったことも。

喪家の人々は、おのおのが滞在できる範囲で滞在し、故人と向き合って何かを考える。スタッフはそこで裏方に徹して、遺体の状態維持などをサポートする。これが鎌倉自宅葬儀社が提供する自宅葬のスタイルだ。

課題は今後の拡大の道筋

日本の葬儀の歴史を100年ほどさかのぼると、喪家はかつて何もしないのが仕事だった。喪家は弔問客や導師の対応以外、ただひたすら喪に服すことに集中し、会場の設営や料理の準備、会計などの面倒ごとは近隣の人たちが手分けしてこなしていた。村八分であってもそれは例外ではなかった。

それが高度経済成長期に入って都市化と地域社会の分断が進み、近隣が手分けして葬儀を助けてくれる仕組みは消失する。そうして、残された喪家が日取りを決めて人を呼び、料理や返礼品を注文して、あいさつを考え、もろもろ取り仕切るようになったのが現在の葬儀のスタイルだ。

鎌倉自宅葬儀社が目指すところはかつての葬儀の景色に通じるところがある。その価値は多くの人に受け入れられると思う。しかし、そのためには一定以上の規模が必要だろう。現在、同社で自宅葬を手がける現場スタッフ(自宅葬コンシェルジュ)は馬場氏一人だけ。馬場氏が転べば、すべてのプロジェクトが停止する。いわば非常にリスキーな状況だ。

「クオリティーの維持が最優先ですので人員を一気に増やすということはありませんが、自宅葬コンシェルジュの育成は進めています。また、カルチャーが合うことが必須条件ですが、他の地域の葬儀社さんとフランチャイズ契約を結んで展開することも考えています」

日本人の死亡者数は2040年頃に年間170万人弱でピークを迎えるといわれている。その頃、同社が掲げる自宅葬がごく当たり前の選択肢になっているだろうか。鎌倉自宅葬儀社の、今後の成長を見守っていきたい。

■次のページでは「鎌倉自宅葬儀社」の企画書を掲載します。