「涙が流せる葬儀」を追求し、自宅葬に着目

まずは自宅葬専門会社を設立するに至った経緯を見ていきたい。

馬場氏が人材派遣会社に入社して葬儀業界に足を踏み入れたのは2003年のこと。複数の葬儀社や花祭壇を作る生花店、受付や記帳所を作るテント設営業などの現場を体験したのちに独立し、2008年に地元の埼玉で自ら葬儀社を興した。一般的な地元密着型の葬儀社で、葬祭ホールでの葬儀を中心に、希望があれば自宅での葬儀も請け負うというスタンスだった。

この頃から自宅での葬儀のほうが喪家の満足度が概して高いとは感じていたが、自宅という空間を強く意識したのは3年前に自らの祖父が亡くなったときだ。

「葬儀自体はホールで行いましたが、火葬場が取れなくて1週間ほど自宅で安置していました。自宅に帰るというのは、入院生活が長かった本人の希望でもあったんです。すると、多くの人が弔問に来られて、われわれが知らなかった祖父の話をたくさんしてくれました」

涙活に取り組み、落語家ならぬ「泣語家」として噺をする馬場氏。

それ自体は貴重な体験だったし深く感謝しているものの、喪家の一人として弔問客の対応に常に張り詰めている状況には違和感を覚えたという。涙が出たのは葬儀が終わって1週間後。すべてが終わって自宅で親族と祖父の話をしていたとき、本人も予想しない勢いで落涙した。

「そのときようやく祖父が亡くなったことを理解できたといいますか、気持ちが整理できたのだと思います」

残された家族が、十分に涙を流せる葬儀がしたい――以来これが馬場氏の基本軸となる。自らの会社で自宅という空間を重んじた葬儀の構想を練るとともに、インターネットで知った「涙活(るいかつ)」という、泣くことでデトックスを図る取り組みにも参加するようになった。

1時間のプレゼンで鎌倉自宅葬儀社が生まれた

現在日本では葬儀のほとんどが葬祭ホールで行われている。ホールでの葬儀も利便性が高くて悪くないが、場所を借りる以上はどうしても時間の縛りが生じてしまう。それなら、自宅といういつまでもいられる勝手知ったる空間で、ゆっくりしのぶ、という選択肢があってもいいのではないか。ゆっくりしのぶなら、ホストとしての細かな作業や気遣いも、できるかぎり省いたほうがいい。だから、しばらくは弔問も我慢してもらおう。遺族は仕事や日常の仕事をしながら、無理のない範囲で自宅に滞在すればいい。ご遺体が傷まないよう、ドライアイスだけは毎日当てに行こう――。

構想を温めること2年。“遺族が故人との時間を持てるための自宅葬”というアイデアが具体的に固まり、「埼玉だけではなく、全国に広げていける道筋が必要」と思い至った。そのとき頭に浮かんだのが、涙活イベントのコラボレーションを通して知り合ったカヤックだった。

「全国規模の展開力があって、既存の葬儀業界に染まっていないところ。それでいてアイデアを受け入れてもらえそうなところ。カヤックはすべて当てはまっていました」

2015年の年末のこと。涙活活動家としてカヤックのCEO・柳澤大輔氏とフェイスブックでつながっていたが、本職はまだ伝えていない。それでも構わず「お話したいことがあります」とダイレクトメッセージを送ったところ、「1時間なら話を聞くよ」と返事があった。

約束の日は翌年1月の某日。1カ月かけて頭の中にあった構想を落とし込んだ企画書をノートPCに入れ、横浜オフィスの1階にある飲食店で柳澤氏に会った。ここで馬場氏は初めて、自らの本職が葬儀社であること、新たな解釈の自宅葬を構想していることを打ち明けた。

馬場氏のプレゼンテーションを聞いた柳澤氏の返事は「面白い」。その場で鎌倉自宅葬儀社という社名が決まり、プロジェクトが動き始めた。