「交通史観」で街のスタイルを考える

街のスタイルはその時代の主要交通手段で決まる。これを私は「交通史観」と呼んでいる。主要交通手段の変遷によって、街の中心地は旧街道・河川沿いから駅前、バイパス道路沿いを経て高速道路のインターチェンジ付近に遷移してゆく。モデル化したのが次の図である。図表3の丸数字はその時代の中心地と発生する順番を意味している。

第一は街道・舟運の時代である。主要交通手段が徒歩や舟運であったころ、市街地は街道や河川に沿って発展した。連載第3回でとりあげる石巻市の場合は北上川の河岸が江戸時代以来続く旧市街である。舟運と海運の中継点となる川の中州に発展したという点では、大阪の中之島と同じだ。都市の大小にかかわらず旧市街は街道や河岸に沿って発展している。秋田市の旧市街の横町は旭川と奥羽街道に沿っている。新潟で言えば信濃川と古町の関係。盛岡市の肴町、仙台市の国分町は奥州街道に沿った街だった。

第二は鉄道の時代である。明治期に入り、旧市街の外縁をなぞるように鉄道が敷設されはじめる。そして駅が整備される。これが駅前市街地のことはじめである。しかしこのころは蒸気機関車の煙害を避けるため、また、まとまった鉄道用地を確保する都合から、駅は中心市街地から離れたところにあった。今でいえば騒音を避けて空港を郊外に整備するようなものだ。まるで駅前が昔から賑わっていたように思われているが、当時の駅前は今でいうところの「郊外」だったのだ。鉄道路線は市街地を迂回して他の都市と結ぶ「バイパス」として機能した。

鉄道の開通によって、市街地は、駅と旧市街を結ぶアクセス道路に沿って、駅の方向に拡大していった。石巻市では立町通りが石巻駅と旧市街を結ぶアクセス道路にあたる。鉄道が普及するにしたがって舟運は衰退してゆく。そして高度成長期にかけて農村から都市へ人口が流入する。1970年代、80年代が中心商店街の一番栄えた時期である。「すれ違いざまに肩が触れ合う」時代であった。次第に中心市街地の地位がだんだん駅前に移ってゆく。県庁所在都市においても、金沢市、岐阜市、佐賀市はじめ、元々の市街地からアクセス道路に沿って駅前に最高路線価地点が近づいていった。

中心地は駅前からバイパス沿いへ

第三はバイパス道路の時代である。旧市街の混雑を避けるために、市街地の外周にバイパス道路がつくられる。あわせて、バイパス道路から市街地に向かうアクセス道路が整備される。そして、新しい商業集積がバイパス道路とアクセス道路の交差するところに発生する。旧市街や駅前の商店街と激しく競合するが、所得が向上し乗用車が家庭に普及するにしたがって、バイパス道路の商業集積が優位になってくる。

最後に、高速道路の時代である。市街地のさらに外縁を高速道路が通るようになる。広域から誘客できるため、とくに車社会化が進んだ地域でバイパス道路よりも魅力的な商業集積地になる。商業のみならず病院その他の公共施設が郊外に移転し、郊外に新しくできた中心地がますます栄えるようになる。

交通の中心が鉄道から自動車になるにつれ駅前からバイパス沿いへ中心地が移転する。大規模ショッピングモールが郊外に進出し、そこを中心に車社会に適応した新しい街ができる。中心市街地の活性化を講じるにあたっては、その街の発生史と、その時代に支配的な交通手段について思いを巡らすことが重要だ。