日本人は同調圧力に弱くない

この実験が示すように、人間はいともたやすく同調圧力に屈してしまう。同じ長さの線を選ぶという間違えようのない問題に対してすら、同調圧力のバイアスが強くかかるのだから、政治的な見解やら社内の意思決定においては推して知るべしだろう。

補足的な話をひとつ挟んでおこう。この同調実験は1951年に行われた。その後、同様の実験がアメリカで繰り返され、誤答率(=同調率)は、平均でおよそ25%だった。

ここで気になるのは、日本の場合だろう。日本人は集団主義的で同調圧力に弱いと、日本人自身もよく口にする。ならば、同様の実験をしたら、さぞかしアメリカよりも高い同調率になりそうだ。

ところがどっこい、結果はアメリカと大して変わらなかった。心理学者の高野陽太郎が『「集団主義」という錯覚』のなかで報告しているが、日本の大学生を対象におこなった同様の実験でも、同調率はアメリカとほぼ同じく25%だったのだ。

「三人寄れば文殊の知恵」になるのか否か

ということは、実験から読み取るかぎり、アメリカ人は個人主義で、日本人は集団主義というのも、これまたバイアスにすぎないことになる。もちろん、実感や経験にもとづいて反論したくなる方も多いだろう。が、いまは日本人論を展開することが本題ではないので、この話題は別の機会に譲りたい。

さて、そこで次に考えてみたいのは「三人寄れば文殊の知恵」となるかどうかだ。先の同調実験には“話し合い”という要素がない。一方、日常生活では、人々はさまざまな形式、内容で会議を開き、話し合う。

では、集団で話し合えば、偏見や思い込み、先入観は修正されるのだろうか。そもそも話し合いは、そのためにあるはずだ。たとえば政治思想の分野には、「熟議民主主義」や「討議的民主主義」という考え方がある。人々が議論を通じて、自分の意見や主張を相互に吟味していくことで、より優れた意思決定ができるという考え方だ。

多くの人は、「ごもっとも」と思うに違いない。物事をいきなり多数決で決めるのではなく、よく話し合い、意見を出し合ったうえで決を採る。学級会でも、散々そんなことを先生から言われた覚えがある。だからこそ、民主主義の機能不全や形骸化を嘆く場合、「熟議の欠如」が漏れなくセットになりやすい。