前回(http://president.jp/articles/-/1400)少し触れたが、私は大学4年から2年間、訪問販売のアルバイトで月300万円を売り上げ、月額30万円のアルバイト代を得ていた。今回は、自分なりに築いた営業ノウハウからお話しすることにしよう。

販売していたのは小学校6年生向けの教材。当時はマンションのオートロックが普及していなかったため、個人宅へのセールスは今よりしやすい環境にあった。また最終学歴が中学という母親も多く、現在とは違った意味で、子どもに学歴をつけさせたいと願う人が多かったようだ。

バイト代は歩合制であったため、なんとしても売らねばならない。訪問の際、子どもに見本の問題集に挑戦させると、子どもは想像以上に熱中して取り組み、たいていの子は教材を欲しがる。とはいえ、1セットの販売価格は当時の価格で36万円となかなかの高額であり、多くの母親の答えは、「買うかどうかは、お父さんに相談してから」だった。

訪問販売のご経験がある人ならおわかりかと思うが、商談はその場でまとめるのがセオリーである。相手に時間を与えると、成約の確率はぐんと下がる。

そこで私はこう言う。「お子さんはやる気になられています。旦那様にご相談されたら結論は変わりますか?」。
相手は少し考える。子どもがやる気になっているのだから夫も反対しないだろう。もし反対しても、子どものために自分の裁量で買い与えてやりたい。そんな心理が働き、多くの母親はこう答える。「相談しても変わらない」。

その一言が聞けたら、「では今決めましょう」と畳み掛けるのだ。この方法で成約率を上げたのである。

当初、大学を卒業するまでの1年間の予定で始めたバイトだったが、結局、バイト期間は2年にわたった。

主な「士」業の中でも、会計士の平均年収は高い
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主な「士」業の中でも、会計士の平均年収は高い

実はバイトを始める前(大学3年次)に、私は大手生命保険会社から就職の内定を得ていた。当時はバブル真っ盛りで、金融機関は入社1年目で100万円のボーナスが出るという話もあり、世の中は浮かれ気分。しかし私はなんとなく、「今が好景気のピークだな」という気がしていた。ジュリアナのお立ち台で扇子を振って踊り狂う女性たちをみて、普通ではない、と思えて仕方なかったのである。

私が通った大学は東大でも、東京六大学でもない。大手の内定を得たものの、出世には限界があるだろう、頭打ちだろうと、悲観的な気持ちが先行した。内定者300人が集められた内定式では、いよいよその思いが強くなり、「ブランドといえる資格をとって勝負しよう」と決心した。

弁護士か税理士を考え、専門学校のパンフレットなどで情報収集したが、弁護士は合格率が2%、税理士は同5%の狭き門。同じ5%なら会計士という選択肢もある、という情報に触れたのをきっかけに、会計士の道を選んだ。

専門学校に通うためには当然、資金がかかる。それは自分で稼ぐべきだと考え、セールスのバイトを始めたのだ。

当初は就職して働きながら学校に行こうと考えていたが、バイト先の社員から、金融はとくに激務で、仕事以外の勉強をするなど無理だと助言を受けた。そこで就職をせず、あえて1年留年してバイトを続け、専門学校に通った。

今でこそ、大学に通いながら資格取得のために専門学校にも通うダブルスクールは少なくないが、当時は異色だった。

狂乱ともいえる好景気は長くは続かない。世の中と一緒に沈むのはご免だ。そんな思いが私を会計の道に向かわせた。人の判断で人生が左右されるくらいなら、自分の判断、責任で人生を生きたい。ちょっとカッコつけた言い方になるが、その気持ちは今も変わっていない。

(高橋晴美=構成 ライヴ・アート=図版作成)