「四六時中動き回って遊ぶ生き物」が机に向かうのか?

【2:習慣化の鍵は、親】

では、自ら机に向かう子どもたちは、なぜ向かうのでしょうか。「学習の習慣を身に付ける」ことが大事だと思っているから、ではありません。

子どもは自然に自ら机に向かうようになることは、まずありません。なぜなら、子どもは本来「四六時中動き回って遊ぶ生き物」だからです。いわゆる「多動」が普通なのです。机に向かって座っているのは本来「不自然」なのです。

過去の原稿でも繰り返し伝えているように、教育とは「自然を自然のままにしておかないこと」です。「不自然」を求めるのですから、適切な“外力”が必要になります。

一度きちんと習慣化さえしてしまえば、子ども本人もやらないと気持ち悪い状況になります。歯磨きと同じです。子ども自身が明確な目的意識(◯◯だから自分は勉強する)を持ち始めるのは、ずっと後のことでしょう。そこで鍵になるのは、親です。

親はどのように習慣化のきっかけを作ってあげればいいのでしょうか。

親自身が「学習=楽習」を実践すれば子は真似る

【3:遊びの延長としての学び 学習は楽習】

ところで、親であるあなた自身は、勉強に対してどういうイメージがありますか?
勉強を「我慢するもの」「つまらないもの」と考えていませんか。今でも、日々の勉強を楽しむ習慣がありますか。仕事に関することでも趣味でも何でもいいのです。最近、何か興味のある分野について本を読みましたか?

「入試をパスするまでが勉強」という捉え方をしている以上、勉強は「苦行」でしかありません。私は「勉強」よりも「学習」という言葉のほうがいいと思っています。「勉強」は、強いて勉める、つまり、我慢するイメージがあります。

一方、「学ぶ」の語源は「まねぶ」。真似をすることです。小さな子どもたちは、そうしたくて勝手に真似をする、つまり、学ぶのです。

子どもはこの世に産まれてからずっと周りの人物にすべてを学び、そして真似ます。その最も身近なお手本の存在が、親です。

自分自身が全く本を読まないのに、わが子に「本ぐらい読め」と強要する親もいるようですが、これは論外です。子どもは親の背中を見て育つのですから、それで読むようになるはずがありません。

わが子が自ら机に向かう習慣づくりのために、親が真っ先に行うべきは、親の側が自ら机(リビングテーブルなど)に向かう習慣、すなわち学んでいる姿勢を見せることです。学ぶことがたまらなく楽しい状態、学習を「楽習」と捉えることです。親が、その姿勢を背中で示しましょう。