11月には見本ができ始めたが、まだ社内では新ブランドを「X」と呼び、名前は付いていない。でも、百貨店のバイヤー向けの内覧会は、翌年の2月14日と決める。自社のアメリカンフットボールチーム「オークス」が、社会人選手権で優勝し、祝賀会をする日だ。バイヤーたちを招待しても、勘ぐられる心配はない。

その1カ月前、紳士服事業本部長とともに、何度か社長に呼ばれた。ブランド名を決めるためだ。洒落た外国語や、外国語を漢字で書いた名をいくつも持っていったが、社長は満足しない。最後には「違う、日本語名にしよう」と言われ、婦人服は「組曲」、紳士服は「五大陸」に決まる。

もう1つ、自分がこだわった点もある。「組曲」には、ジャケット、スカート、パンツ、シャツ、セーター、雑貨類など、多数の商品を開発した。その百貨店での売り方に、持論を通す。

当時は、同じ種類の商品を、多数のブランドから並べた「平場」で売るのが、全盛だった。でも、以前から「ブランドはあちこちに分散させず、顔となる売り場をつくるべきだ」と考えていた。ブランドイメージを構築し、浸透させて価値を最大化するには、1カ所に同一ブランドのいろいろな商品を集めた「箱」で売りたい。前号で触れた東京・代官山にゴルチエブランドの「こだわりの店」を開いた際の経験から、「いつか、そうやりたい」と思っていた。

ただ、「箱」が力を付けるには時間がかかるから、百貨店側は嫌がる。だが、社長にレディス事業本部長を命じられ、新しい自社ブランドをつくろうと言われ、その「時と場」がきた。侃侃諤諤たる社内外の議論を押し切り、突破力を発揮する。

業界を驚かせた百貨店に「広い箱」

92年8月27日、先行した東京・上野の「1号店」に続き、全国28の百貨店で「組曲」を発売した。目玉は、伊勢丹の新宿店にできた「箱」だ。広さは30坪。業界中が驚いた。若い女性層に高い支持を得て、各社がしのぎを削って納品を競っていた同店では、考えられない広さだった。実現には、宝飾部門を長く担当し、美的感覚が鋭く、伊勢丹に高く信頼されていたベテランの応援も、得た。

ちょうど、40代が終わるときだった。「組曲」は、いま全国の280店余りで販売され、年間に100億円の売り上げがある。

「蛟龍得水、而神可立也」(蛟龍水を得れば、神立つべし)──蛟龍は「水の霊」とされる想像上の動物で、水を得れば超越した力を発揮する、との意味。中国の古典『管子』にある言葉で、優れた人は時節さえ得れば大いに力を発揮し、拠って立つ所を築くと説く。ファッション界に新潮流が生まれる時機に、持論のブランド論で商機を開き、経営基盤を固めていった廣内流は、この教えに通じる。