科学者にとって一生に一度の取得さえ夢といわれる新規医薬品の承認を、世界的に2つも取った久能祐子さん。多くの次世代科学者たちのメンターとして育成に励む。

Forbesが選んだ米国で成功した女性50人、唯一の日本人

S&R財団 CEO 久能祐子さん
Q. これまでのキャリアを簡単に教えてください。

「私は山口県下松市という田舎で生まれました。大学は京大工学部に行きました。当時、女性はあまり勉強するなと言われていた時代なので、両親は周囲のそういうプレッシャーを感じながら育てたようですが、父は『世界を目指すようになってほしい』と言ってくれました。

大学卒業後、ミュンヘン工科大学で研究員をして、京大大学院工学研究科の博士課程に入りました」

Q. なぜ科学者の道を選んだのでしょうか?

「当時は子どもだったので気づきませんでしたが、父がエンジニアで会社の経営もしていたので、振り返るとその影響は強かったと思います。科学をベースにした会社の起業と経営の面で父から無意識に学んでいたことは多いですね。最初のメンターの一人かもしれません」

Q. メンターというのはどういう存在なのでしょうか?

「メンターという言葉が特に使われるようになったのは、ここ4、5年です。メンタリングというのは相手の地位がCEOであっても組織の一員であっても、自分が本当に何をやりたいのかと問うことで、鮮明にさせることです。日本の場合、教育も経験も十分あるのに、自分が持っているポテンシャルをunleash(解き放つ)することができていません。ポテンシャルを解き放つ方法を見いだすのがメンターの役割です」

Q. アメリカに行かれたのはいつですか?

「1996年です。京大大学院で博士号を取得して、三菱化成生命科学研究所に入りました。89年にアールテック・ウエノ社を上野隆司氏と共同起業し、94年に初のプロストン系緑内障治療薬となる『レスキュラ点眼薬』の商品化に成功しました。最初の起業は企業内起業でしたので、一からやり直そうと思い、渡米を決意しました」

Q. アメリカと日本では起業の面でも考え方の面でも随分違うでしょうが、それぞれの良さと困難は何だと思いますか?

「アメリカに来て初めて、本当の意味での起業をしましたが、失敗しても詮索されないからやりやすいです。やり直しがしやすいこともアメリカの良さですね。日本では、文化の違いかもしれませんが、アメリカよりもハードルが高いです。

ただ、誰かと一緒にいたいという気持ちがある人はアメリカでは寂しさを感じます。日本の場合は、自分の立ち位置がはっきりしていなくてもいいのですが、アメリカではそれは通用しません。give and takeというよりもwin-winの関係を築くことが重要です」