パリに移住した理由

――そもそも15年前、なぜパリに移られたのでしょうか? 外国人のお友達が東京をカッコいいと感じるように、何かパリに対する憧憬のようなものが辻さんの中にあったのでしょうか。

【辻】日本では、今でこそ小説を書くミュージシャンがいたり、映画監督がいたりするけど、昔は皆さんひとつのことしかやっていなかったので、いろいろやっていた僕はすごく批判も受けたんです。でもフランスには、イラストレーターで、脚本家で、劇作家で、小説家で、映画監督だったジャン・コクトーがいたり、ボリス・ヴィアンがいたり、セルジュ・ゲンズブールがいたり……自然にマルチな人たちがいたんですよね。

こうしたすごい先輩たちと自分を比べるつもりはないけど、いろんなことをやっても許される文化がフランスにはあるんだなと思って、「行ってみたい。自分にとって居心地のいい場所かもしれない」と考えたんです。これは大きな間違いだったと、あとでわかったんですけどね。当時はやっぱり、彼らも叩かれていたんですよ。でも僕は、ちょうどフランスのフェミナ賞(※)を受賞したタイミングだったこともあり、フランスに行けば何かわかるのかなと思ったんです。

※フェミナ賞:フランスの権威ある文学賞。辻さんは1999年、『白仏』の仏語翻訳版で同賞の外国小説賞を 日本人として初めて受賞した。

――では、当時はこんなに長くパリにいらっしゃるとは思っていなかった?

【辻】そうですね。ご存じのように、今はシングルファーザーになっちゃったので、中学生の息子が大学を出るまでは日本に移れないんですよ。それは、彼は日本語ができないから。会話はできるけど、漢字や文法が小学校2年生ぐらいのレベルなので、まずフランス語で基礎的な学力をちゃんとつけないといけない。

あくまでも僕の個人的な感想ですが、何カ国語も話す子供たちが抱える問題というのか、複数言語での思考はやや問題があるようです。まず1つの言語に基軸が置くことが大事だと周囲のバイリンガルな方々が教えてくれました。今から息子の基軸の言語を日本語に戻すこともできるけれど、親の勝手を押しつけるわけにもいかないですから。だから、フランスで大学まできちんと出て、それから日本語を勉強すればいいんじゃないかなと思っています。

パリより東京のほうが怖いのでは?

――世界的に移民に対して厳しい視線が向けられている時代ですし、2015年の同時多発テロで大勢の死傷者が出たパリは、幾度となくテロのターゲットにもなっています。そうした住環境に対する不安はありませんか?

【辻】それはあまり関係ないです。テロはピンポイントでしか起きませんけど、核ミサイルの危険にさらされた日本のほうが怖いという感覚を欧州人は持っていますよ。ミサイルが怖くて韓国でのコンサートをキャンセルしたミュージシャンが話題になっていました。大地震も来るかもしれませんし、怖さはどこも同じじゃないですか? 皆さんパリというと「テロの危険」とおっしゃるんだけど、フランス人は、テロがあったあともそのカフェに行くぐらい、自由に対する強い意志がある。そういうのを見ていると、この国は大丈夫だなと思います。

――仕事の場としてはいかがですか? パリのほうが創作活動に向いているのでしょうか?

【辻】いやぁ、もう撤退できないだけで(笑)。僕自身はシングルファーザーになった時点で日本に戻ろうと思ったんですけど。息子と話し合って、「今は全部は変えられない」って彼が言うので、「そうだね、学校を出るまでパリでがんばろう」って話をしています。フランスの大学に行ってくれたら、学費がタダなんです。高校、中学、小学校と学費は全部無料です。給食費しかかからない。子どもの教育や文化は社会的に保障されているんです。

――立ち入った質問なのですが、辻さんはどのような種類のビザで15年という長い期間、パリに居住されていらっしゃるのでしょうか?

【辻】数年前に10年間有効の居住者カード(carte de résident)を取得しました。僕は映画監督や小説家が所属するフランスの職能団体に入っています。10年カードは自動更新なので、真面目に生活をしていれば自動的にパリで暮らすことができます。政権が代わればわかりませんが、マクロン政権下では大丈夫でしょう。

日本も含め、ビザの問題は非常に複雑で大変です。弁護士さんとこの15年、一緒に頑張ってきました。しかし、右傾化する欧州で今後日本人が生活をしていくのは簡単じゃないでしょう。それだけの覚悟と目的がしっかりないとやっていけないかもしれませんね。