自己完結できる最強女は男の話題に淡白

先日、私は幼稚園から高校まで同じ学び舎で過ごした幼馴染とマダムの巣窟・二子玉川のフレンチの店でシャンパンを傾けながら珍しくランチをしていた。同じ私立大付属幼稚園・小学校を経て、都内の女子御三家、桜蔭中高へ共に進んだ者同士。劣等生だった私は箸にも棒にもかからぬしがないライターだが、人生通して優秀な彼女は家業を継いで一家の大黒柱となり、今や地元でも有名な開業医である。お互い結婚し、同じ年の子供を持つ幼馴染みが言った。

「菊川怜ちゃん、あんな記事が出て大変そうね。うちの真ん中の妹の一つ下の学年なの」

「ああー、もうそんなトシだっけ? あんなに綺麗だけど、結構私たちと近かったんだねぇ」

「そうよ、もう39かな……」

「でも、なんたって“菊川怜”だから、大丈夫じゃないの」

「そうよね、“菊川怜”だもの」

彼女は三姉妹の長女で、三姉妹全員が桜蔭を卒業して医学部へ進み、医師として活躍しているというハイスペックすぎる人生なのだが、彼女に限らず、こういった噂話がまったく噂話として機能しないのは、桜蔭生の特徴でもある。桜蔭生はそういう他人の噂――特に普通の女性ならみんなが目の色を変えて嬉しげにコソコソ話すような蜜の味のゴシップには、極めて淡白でフラットなところがある。なぜか。

それは女子としての自己完結性に原因あり、なのだ。

女子御三家の個性を示す「空き缶のたとえ話」

いわゆる女子御三家校と呼ばれる桜蔭・女子学院(JG)・雙葉とはどういう学校かを端的に表現する、有名な「空き缶の話」というのがある。もし、道に空き缶が落ちていたら、3校の生徒はどう反応するか。桜蔭生は「本を読むのに夢中で缶が落ちていることに気づかず」、雙葉生は「きちんと拾ってゴミ箱に捨て」、JG生は「みんなでその空き缶で缶蹴りを始める」というものだ。

私はこの40年超の人生で、もう耳にタコができるほど聞いた。「そっと缶を拾って捨てる雙葉生はさすが育ちのいいお嬢様」、「缶蹴りを始めるJG生はさすが自由闊達で発想も豊か」、一方「缶に気づかないほど本ばっかり読んで周りが見えていない桜蔭生はおかしい」と、たとえ話なのに私が叱られた。マジ意味がわからない。まぁいいけどね、もう。

それぞれ明確に傾向の違いはあるが、「自分たちへの自信」が揺るがない点は同じ。実際に私の周りを見ても、JGの友達は自分軸を譲らないし、自分が認めない他者には寄せない。雙葉の友達は「育ちが良くてしかも賢い」と、世間受けで自分たちが最強だと知っている。桜蔭は、本当に我関せずを貫く。相対値で見ずに絶対値で見るクセがあるゆえ、人と比べる幸せに一切カタルシスがない研究者マインドの持ち主が多い。だからゴシップにも興味がない。自分で目標設定して自分でコツコツと克服・到達するのが何よりの喜び、まさに自己完結した存在なのである……。