女性1期生として防衛大学校に入学

大谷さんが防衛大学校に入学したのは1992年。もともとは京都の大学に通う学生だったが、前年に湾岸戦争を報じるテレビの映像を見て、国のために働く仕事をしたいと思った。ちょうど同じ時期に女性1期生の募集が始まり、反対する両親を説得して願書を提出した。

「女性1期生である私たちを、男社会の自衛隊の中にどう受け入れればいいか。むしろ悩んだのは先輩方だったと思います」と彼女は大学校時代を振り返って言う。

「私の側にも、最初の女性だから、ちょっとは甘やかしてくれるんじゃないか、という気持ちがありました。でも、実際には訓練も同期の男性と同じ。自分の体力を限界まで出し切って、最後は気合で乗り切る日々でしたね」

(上)士官室に集まり、海図を見ながら打ち合わせ。天候や状況に合わせて臨機応変に航行経路などを話し合っていく。(中・下)艦長になった就任式のとき。きりっと引き締まった気持ちで挨拶をする。

防衛大では2年生のときに陸海空の要員分けが行われる。「大ヒットした映画『トップガン』を見ていた世代だったので」と笑う彼女は、入学当初はパイロットになりたくて航空自衛隊を志望していた。しかし護衛艦実習で初めて見た艦長の姿に憧れ、海上自衛隊に希望を変えたという。

女性艦長への道が開かれたのは08年、これまで女性の配置制限があった護衛艦や掃海母艦で制限が解除されたのがきっかけだった。

「自衛隊で艦長になるには、水上艦艇指揮課程という講習を受ける必要があります。その講習を受ければ、艦長になれる整理券をもらったようなもの。『自分にもいつ声がかかるかわからない』とずっとドキドキしていました」

そうして副長から前述の「しまゆき」の艦長になった彼女は、2016年から護衛艦「やまぎり」の艦長に着任して現在に至っている。

そんな大谷さんが海上自衛隊の「フロントランナー」であるのは、そのキャリアを1児の母として歩んできたからでもあるだろう。現在と比べ前例の少なかった育休や産休の取得。また、海上幕僚監部に勤務していたときは、女性自衛官が乗艦勤務をするための環境づくりとして、24時間対応の託児施設の設置などにも力を尽くした。

「いつ出港するかわからない艦での勤務は、小さな子を持つ女性にとって非常に過酷な環境です。当時はまだ身近に女性自衛官が少なかったので、私たちの存在に抵抗感を持つ上官も多かった。時間をかけて、母親の自衛官に必要な環境を理解してもらいました」

離婚を経験し、母子家庭で一人娘を育てながら、艦上での勤務を続けてきた。地元である大阪の両親に幼子を託し、1カ月を超える航海に出る際は深く葛藤した。

「一度、海に出てしまうと、こちらから家に連絡することはできません。子どものそばにいてあげられない、という気持ちはいつも持っていました」

中学生になった娘は、全寮制の学校に通学中。長い航海を終えて久々に会うと、学校や友達のことなどをせきを切ったように話してくれるという。

「私に直接は言いませんが、そんな様子を見ていると思うんです。学校の参観や運動会に母親が来ないというのは、やはり寂しかったんだろうな、って。私がいない間の陸での出来事を、そうやって喋り続けることで、彼女が穴埋めしてくれているような気がします」