「甘えの10年」の後に「失われた10年」がくる

アメリカでは、30年代の失われた10年に先立つ20年代を、Decade of Complacencyというそうである。「ぬるま湯の10年」、あるいは「甘えの10年」と訳そうか。たしかに、20年代はバブルの10年だったのである。

「甘えの10年」の後に「失われた10年」がくる、というのは歴史の摂理としてわかりやすい。アメリカの20年代と30年代、日本の80年代と90年代、ともにそのパターンになっている。そして、アメリカの2000年代と10年代にも、歴史が繰り返すことは十分考えられる。00年代もアメリカはバブルの10年だったのである。

アメリカに失われた10年がきそうだという理由は、さまざまに指摘できる。金融システムが不安定化したうえに、製造業がおかしくなっている。GMとリーマンがともに倒産したのである。

そのうえ、巨額の財政赤字である。アメリカ政府は今回の経済危機対策ですさまじい政府資金を投入している。それはすべて、「すでに巨額の財政赤字を抱えていた」アメリカ政府にとって、追加的な巨大な財政赤字の積み増しなのである。一体、この巨大赤字をアメリカの金融市場はどのように処理していくのか。

しかも、その政府資金の投入も、景気の下支え以上の意味をもてるかどうか。金融機関はいざ知らず、国を代表するような巨大製造企業が国有化によって蘇生するだろうか。

GMが突然死したのなら、政府の救急措置で蘇生する可能性は十分あるだろう。しかし、GMは巨木が徐々に朽ちていくように倒産したのである。もちろん、健全な部分だけを新生GMに残し、そこだけでも復活するというシナリオはありうる。しかし、それは過去のGMの地位を再び取り戻すというものにはなりそうもない。そこまでの復活に必要な技術基盤をGMはもっているのか、アメリカに産業基盤は十分残っているか、という深刻な問題があるからである。

しかも、国を代表する企業が国有化によって蘇ったという事例は、そもそも歴史上少ないのではないか。自動車産業の例でいえば、イギリスで75年にブリティッシュ・レイランドという同国最大の自動車メーカーが国有化された。オイルショック後の経済の大混乱の中で、時の労働党政権が国の重工業の危機として国有化したのである。現在のオバマ政権が民主党政権で労働組合を支持基盤とすることと重なり合う。

しかし、国有化の3年後、ブリティッシュ・レイランドは社名をBLカーズと変え、再民営化とブランドごとの売却の道を走り始める。一つの企業としての蘇生はしなかったのである。そしてブリティッシュ・レイランドがもっていたさまざまなブランドは現在、ジャガーとローバーはインドのタタ・モーターズに、MG、オースチンやモリスなどは中国の南京汽車に、トライアンフなどはBMWに、と移っている。