――では、WRESTLE-1に高木さんが持ち込んだものとはなんでしょう?

【高木】まずコストカットです。地味なことですが、地方巡業の移動手段がバスだったんですね。巡業バスを自前では持っていないからレンタルするんですが、たとえば東京から博多までバスで行くと、高い時期だと3日間で70万円くらいする。これをLCC(格安航空会社)に切り替えることで50万円くらいまで遠征費用を安くするとか。またはパンフレットの印刷業者をネットで発注できるところに変えるとか、細かいところから見直していって、少しずつ赤字を減らしていきました。

もともとDDTは小さな団体だったので、お金がない状態での経営が当たり前だったんです。でも、WRESTLE-1に限らず、プロレス業界の黄金時代を経験してきた方々は、わりとどんぶり勘定というか、「一発デカい興行を当てればいいんだ」という感覚がある。だから経営の細かい数字を見直すということをやってこなかった。

一方、僕にはDDTの経営で培ったコスト削減のノウハウがある。それを持ち込めば、WRESTLE-1の経営は立ち直れるのではないかと思ったのが、そもそもCEOを引き受けた理由でもあるんです。カルロス・ゴーンさんみたいなものですよ(笑)。ゴーンさんはルノーで行ったコストカットの手法で、日産の経営を立て直した。WRESTLE-1のCEOをやるうえで、そこはすごく意識しました。実際に彼のビジネス書を読んだりもしましたね。

――その効果はどうでしたか?

【高木】少しずつ上向いていって、今はたとえ集客が予想より少なくてもプラマイゼロになるレベルには持っていけました。そこまでやって、次のステージに進める。CEOに就任して2年で安定した経営の土台を築くことができたので、今年4月からは相談役として、カズ・ハヤシ新社長をサポートする立場に退くことになりました。

学生時代からとにかく赤字が大嫌い

――高木さんは大学卒業後からプロレスラーとして活動され、会社員の経験もないままにDDTを立ち上げられています。そういった現実的な経営感覚を、どこで身につけたのですか?

【高木】若い頃から、とにかく赤字を作りたくなかったんです。大学時代に学生イベントに関わっていた経験が大きいかもしれません。当時はバブルで、何千人も集めるようなサークルがたくさんありましたけど、みんな金遣いが荒かった。いくら儲かってもすぐに使ってしまい、借金まみれの人ばかり。そういった人たちを反面教師にして、自分は堅実にやろうと決めたんです。

だから学生の頃から、僕が関わるイベントではちゃんと収支を立てて毎回黒字になるようにやっていました。性格としか言いようがないですけど、本当に損をするのが嫌でしたね。これは今も変わらないです。

――その感覚が1997年にDDTを旗揚げしてからも活かされたと。

【高木】いや、DDTでいうと、旗揚げ初期の頃はお金の出どころが全部自分だったんですよ。そうしたら最初の大会でいきなり100万円の赤字が出て、それを僕が被らなきゃならなくなった。とにかく損が嫌いな性格だから、「なんで自分が!?」って思いました。

僕はあれこれ企画を考えるのは好きでしたけど、経営者になりたいと思ったことはなくて、自分はプロデューサー向きの人間だと思っていました。プロレスは好きだし、やりたいこともあるけど、お金の責任は負いたくない。だから2004年まで、経営はほかの方に任せていたんです。

――それがなぜ、経営者になることに?

【高木】34歳のときに、結婚したんです。家庭を持って、子供ができて、自分の中に責任感が生まれた。好きなことを好きなようにやれればいいという性格だったのが、将来のことを考えるようになりました。それでDDTとの向き合い方も、腹をくくらないといけないなと思ったんです。そこからですね、経営というものを真剣に考えるようになったのは。