1986年刊行の『思考の整理学』(ちくま文庫)が去年、ついに200万部を突破しました。著者の外山滋比古さんは、現在93歳。今も、執筆や講演など、日々精力的に活動をされており、今年2月には新著『知的な老い方』(だいわ文庫)を刊行。こちらも6万部を超えるヒットとなっています。なぜいくつになっても元気に思考ができるのか? その秘訣を聞きました。

――「超長寿時代」と言われる現代にあって、壮年期を越えてどのように生きるべきかは、大きな関心事です。外山さんは、93歳になられた現在も精力的に執筆や講演をされています。それが可能な理由として、『知的な老い方』では「晩学への挑戦」「ウォーキング」「株式投資」「コミュニティを自分で作って率いる」といった実践を紹介されています。美しく知的に老いるために、とりわけ重要な取り組みとはなんでしょうか?

自分とは違う仕事をしている人と話すことです。会社員をしていると、同じ部署の人と飲みに行ったり、社内の人と話したりする機会ばかり増えるでしょう。そういうのは全然ダメです。サラリーマンの人こそ、農家とか自営業の人とか、自分と全然違うことをしている人と話してみる。一回だけではなく、定期的に会ってしゃべる。会話で使う言葉がいつもと別のものになりますし、頭の使い方も変わります。話が噛み合わない部分も、多く出てくるはずです。それを自分の頭で理解しようとすると、発話者が本来言っていたのとは別のものになる。つまりある種の「誤解」ですね。でも、その誤解から新しい発見や発明が生まれてくる。同じ業種の人と集まって喋ったって、全然おもしろくない。そこで目の覚めるような話を耳にすることはまずないはずです。

ただし、学生時代の仲間で集まるのではダメです。最近の付き合いの中で、異業種の人を少なくとも3人集めて、定期的に会う。これを組織するのは、非常に難しいことです。僕も10個くらいそういうグループをつくってみて、うまくいったのは1〜2個でした。でも、知的に老いていくためには絶対に必要です。本なんか読んでいたってダメ。本は、固定された内容と1対1で向き合っているだけでしょう。それなら生身の人間との1対1のほうがまだマシです。

――読書により知識や教養を備えるのは、いつの時代も推奨されている知的活動だと思いますが、ダメなんでしょうか。

若いうちは、学校に通ったり本を読んだりして、先人の真似をするのも必要です。そもそも、若い頃は考えなくても馬力だけで進んでいける。ところが20年もすると、それでは前に進めなくなる。ベテランになっている代わりに、新しいことができなくなってくる。結果、若い人に追い越されてしまう。その段階で、本から学ぼうとするのは間違っているんです。今の教育は、おしゃべりになんか価値がないとするでしょう。書籍や書類から学ぶものだ、と。そうではなく、40歳を超えたら、自分で考えないと。活字から離れて、違ったタイプの人間から学ぶのが肝要です。それによって自分を新しくし、若々しい知性を作り上げることができる。