子どもに「何で忘れ物をしたのか?」と問う教師は……

その点、「いい加減」教師は、子どもを追い詰めません。

たとえば、忘れ物をしたとします。「何で忘れたの!」と厳しく追及するのは、無駄です。忘れたものは忘れたから忘れたのです。子どもがこの文言をそのまま親に伝えると、9割方キレられることがあろうことが予想できますので、何とか違う理由を作ります。

「昨日は習い事で」とか「お母さんが」とか。これに対する親の返答は決まっています。「言い訳をしないの!」です。「Why?」と問われたので「Because……」と理由を述べたのですが、当然キレられます。双方が不幸です。

そもそも、何がいけなかったのか。

「何で忘れたの!」のくだりです。「何で」は、どうでもいいのです。そこを「いい加減」の教師は、流します。「不都合が起きたから、どうするか」を優先します。または、一通り今後のことを含めた対策を決めた後に、最後に付け加え程度に聞きます。

「で、何で忘れたの?」。言い分も一応聞いてあげると子どもの心が休まるかな、という程度の認識です。この場合、聞いているようで、聞いてないかもしれません。言い訳をあんまり真正面で受け止めて聞くと、腹が立つと知っているからです。その意味でも、実に「いい加減」な聞き方です。

いい加減な教師の何がスゴいのか?

「いい加減」教師は、どうでもいいことをどうでもいいと流しています。

「どうでもいい」ことの基準は、人によって違うのですが、場と状況に応じてのこの基準設定がうまいかどうかが評価の分かれ目です(誤解なきよう申し上げると、忘れ物をなくしていくこと自体は、大切なことです。あくまで対応の仕方について述べています)。その代わり、大事なことには思いきり力を入れます。

たとえば、勉強がわからずに困っている子どものことを真剣に考えて対策をとります。
たとえば、情緒が不安定だったり、じっとしていられない子どもだったりと、特別な支援が必要な子どもへの適切な対応を学んでいます。

たとえば、いじめには即対応します。たとえば、子どもの悩みや願いをキャッチするのに敏感です。たとえば、礼儀や思いやりなど、人として大切なことには人一倍厳しいです。

「いい加減」教師は、「全力・熱血教師」というよりは、わが子にとっての「力の入れどころがいい」教師と言えます。