いい教師の得意技は「陰口」ではなく「陰褒め」

【いい教師の特徴その2:いい教師は、子どもを尊敬している】

子どもや親の悪口を言う教師——。言わずもがな、これを「いい教師」と思う人はいないでしょう。

「いい教師」の特徴の2つ目は、子ども(と親)を尊敬していることです。子どもや親への「陰口・悪口」の代わりに「陰褒め」をしていることが多いです。

職員室にいると、「今日は○○さんがこんないいことをしてくれて」とか、「こんないいところを見つけた」とか、「△△さん、家でこんなことを言ってくれているんですよ」など、教師同士の会話の中で肯定的な発言が聞こえてくることがあります。

ちなみにこの「○○さん」「△△さん」は、周りからもちょっと手がかかる、対応が大変と思われている子どもや親のこともあります。

「いい教師」は、不当な差別をしないのです。固定概念や思い込みのないさっぱりとした視点で物事をみています。このため周りの一部からはやや疎まれていることもあります。

差別しない分、地位や立場に関係なく、誰に対しても言うべきことをはっきりと言うからです。人気テレビドラマの主人公の教師のイメージです(『GTO』主人公の鬼塚英吉など)。ドラマのような無茶苦茶なことはしませんが、それが一番イメージとして近いです。

いい教師の『ごんぎつね』の教え方がスゴい

「いい教師」は、子どもがやがて自分を追い抜く存在であることを知っています。その子の親が、教師として未熟な自分を大目に見てくれていることを知っています。だから、「いい教師」は、何かにつけて謙虚です。子どもから教わろうとするし、子どもの発言やアイデアに本気で驚きます。

私の尊敬する国語の大家である野口芳宏先生は、新美南吉の『ごんぎつね』(※)を題材としたある研究授業で、次のようなやりとりをしました。

※ (あらすじ)悪戯好きの子ギツネ・ごん。村人の兵十が病気の母親のために獲ったウナギをごんは逃がした。栄養補給できなかったその母親は他界。ごんは償いのつもりでイワシを盗み、兵十の家に投げ込む。だが、兵十はイワシ泥棒に疑われ、殴られる。反省したごんは自力で償いをしようと、山で拾った栗などを兵十宅へ届ける。ある日、自宅に忍び込むごんを見た兵十はまた悪戯にきたと思い、火縄銃で撃ってしまう。

『ごんぎつね』のラストの場面の直前に、「戸口に栗を固めて置いた」というくだりがあります(この後、ごんは見つかって鉄砲で撃たれます)。

先生は「なぜ栗を固めて置いたのか?」と問います。多くは「申し訳ないという反省の気持ちから」といった理由を述べ、先生の側もそう考えていました。

ごんが改心していく流れなので、それが、読み取りにおける一般的な解釈だったのです。しかし、ある子どもがこう発言します。

「固めて置いておかないと、見つかって殺されてしまうから」

つまり、放り投げていると、音がして見つかってしまうということです。「我が身を守るため」という視点です。